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'''星川 清司'''(ほしかわ せいじ、[[
== 来歴 ==
星川清司は子供の頃から浅草の映画館へ通い、映画に親しむ日々を送った。若い頃は病気がちだっため、30歳を過ぎてから職を探すことになったが、映画関係の職に就きたいと思ってはみても[[映画監督|監督]]をやるのは体力的に無理と判断、そこで脚本家を志すようになったという。
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大映倒産後はテレビドラマの脚本も手掛け、1970年に『わが父[[葛飾北斎|北斎]]』([[毎日放送]]制作)で[[芸術祭 (文化庁)|芸術祭]]優秀賞と[[イタリア賞]]グランプリを受賞した。また小説では処女作の『[[竹本小伝 (2代目)|小伝]]抄』が第102回(1989年下半期)[[直木三十五賞|直木賞]]を受賞。以後は小説家としても活躍するようになり、晩年は専ら作家としての活動に専念した。
== 生年について ==
生前、生年を[[1926年]]と公表してきた。これは「寅年生まれは運が強い」との理由からである。死後実際には1921年生まれであることが公表され、これにより直木賞の最年長受賞記録が更新された。
== 著書 ==
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[[Category:直木賞受賞者]]
[[Category:東京都出身の人物]]
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[[Category:2008年没]]
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