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1973年に[[馬主]]となる。現在では一世代50頭近くを所有する大馬主であり、[[日本馬主協会連合会]]会長の肩書も持つ。[[冠名]]の「メイショウ」は、本人が[[明石市]]生まれであることから「'''明'''石の'''松'''本」に由来し、また同じ発音の「[[名将]]」ともかけている。妻の和子、息子の好隆も馬主。所有馬の殆どは[[栗東トレーニングセンター]]に入厩しているが、一部[[美浦トレーニングセンター|美浦]]の[[小島太]]厩舎に預託している馬もいる。
 
大牧場出身の良血馬に席巻されている日本競馬界の中で、松本は中小規模の牧場との交流や繋がりを重視し、持ち馬の殆どがそれらの牧場出身の良血とは言い難い安価な馬というのが特徴である。松本自身が馬を見て選ぶことはせず、調教師や牧場が薦めた馬を安く買っている。[[メイショウサムソン]]を初めて生で見たのはデビュー戦のパドックであった。また、現役時代に所有していた馬の産駒も多く、[[メイショウホムラ]]とその産駒[[メイショウバトラー]]は父子二代で重賞勝ち馬となった。中小規模の牧場で働く人々からは、尊敬と親しみを込めて「'''メイショウさん'''」と呼ばれている。所有した牡馬が競走馬として活躍できなかった牡馬でくても、[[誘導馬]]に転向させる事多い馬主の一人でもある
 
幾多の重賞を制しながら[[競馬の競走格付け|GI]]のタイトルには長らく縁がなく、2001年に[[メイショウドトウ]]が[[宝塚記念]]を制するまでに28年を要したが、その後は[[メイショウボーラー]]([[フェブラリーステークス]]優勝)、[[メイショウサムソン]]([[皐月賞]]、[[東京優駿]]〈日本ダービー〉、[[天皇賞|天皇賞(春)、天皇賞(秋)]]優勝)など、GIレースでの活躍も目立つようになった。