「マレー沖海戦」の版間の差分
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=== 彼我の情勢 ===
イギリス東洋艦隊(司令長官[[トーマス・フィリップス]]海軍大将)は、この日本軍マレー上陸部隊の輸送船団攻撃のため、Z部隊を編成して12月8日17時過ぎにシンガポールを出航した。
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* 駆逐艦:エレクトラ、エクスプレス、[[テネドス (駆逐艦)|テネドス]]、[[ヴァンパイア (駆逐艦・初代)|ヴァンパイア]](この艦はオーストラリア籍)
この他にシンガポールには軽巡洋艦や駆逐艦が存在したが、いずれも修理中や低速などの理由でZ部隊には加わらなかった。この時までに、米太平洋艦隊が真珠湾で受けた損害の大きさは明らかになっており、その増援は望めなかっ
一方、日本海軍の戦力としてこの方面には[[近藤信竹]]中将指揮の[[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]]があり、戦艦としては[[金剛 (戦艦)|金剛]]と[[榛名 (戦艦)|榛名]]があった。近代化改装を受けてはいたが、両艦とも艦齢は27年を越えており、また兵装・装甲の厚さも元は巡洋戦艦であり、戦艦として建造されたプリンス・オブ・ウェールズよりも劣っていたため、相手として最新鋭のプリンス・オブ・ウェールズは想定されてはいなかった。また戦闘が始まったときは日本の戦艦部隊は北に離れており、海戦には間に合わず、戦艦同士の砲戦は起こらなかった。ただし後の調査で、両軍艦隊は一時プリンス・オブ・ウェールズの主砲射程圏まで接近していたことが明らかになっている。他にも[[巡洋艦|重巡洋艦]]や[[水雷戦隊]]もあったが、砲力の差は如何ともしがたく、万が一の際は水雷攻撃に全力を傾けるつもりであった。いずれにせよ、8日および12月9日には敵情報が入ってこなかったことから「特に敵情に変化はなし」と判断。金剛、榛名以下の艦隊は[[カムラン湾]]に引き上げて燃料補給を実施することした。輸送船団護衛の任にあった[[小沢治三郎]]中将([[重巡洋艦]][[鳥海 (重巡洋艦)|鳥海]]座乗)指揮の[[南遣艦隊]](巡洋艦及び水雷戦隊など)も、上陸部隊を乗せた輸送船団の護衛を終えてカムラン湾に引き返しつつあった。
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