「マレー沖海戦」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
MOMO (会話 | 投稿記録)
26行目:
 
=== 彼我の情勢 ===
太平洋戦争イギリス[[開戦]]日海軍当局、極東での日本の脅威に対応するために、[[1941年ネルソン級]]戦艦2隻と、[[12月8日リヴェンジ級]]戦艦4隻を送る計画であるがその直前新鋭の[[12月キング・ジョージ5世級]]の2隻は、ドイツの[[ティルピッツ]]の出撃イギリ備えて[[海軍カパフロー]]から動かすつもりはなかった。これに[[チャーチル]]首相が介入し、快速艦新鋭戦みで構成する遊撃部隊を送って抑止力とすることを主張した。これによって、キング・ジョージ5世級の一である[[プリンス・オブ・ウェールズ (戦艦)|プリンス・オブ・ウェールズ]]、[[巡洋戦艦]][[レパルス (巡洋戦艦)|レパルス]]と護衛の[[駆逐艦]][[エレクトラ (駆逐艦)|エレクトラ]]、[[エクスプレス (駆逐艦)|エクスプレス]]、[[エンカウンター (駆逐艦)|エンカウンター]]、[[ジュピター (駆逐艦)|ジュピター]]からなるG部隊が編成され、[[1941年]][[12月8日]]の太平洋戦争開戦直前の[[12月2日]]に[[シンガポール]]のセレター軍港に到着した。当初は新型空母の[[インドミタブル (空母)|インドミタブル]]も加わる予定であったが、同艦は[[バミューダジャマイカ島]]近海で座礁事故を起こして合流できなかった。12月8日の早朝、[[ハワイ]]の[[真珠湾攻撃]]より70分早く、日本軍は[[タイ王国|タイ]]国の国境に近い[[マレーシア|マレー]]領[[コタバル]]に陸軍部隊を上陸させた([[大本営]]もこのコタバル上陸をもって、対米英蘭豪への宣戦を布告したと報じた)。この部隊は、マレー半島を南下してイギリスの根拠地、[[シンガポール]]を攻撃予定であった。
 
イギリス東洋艦隊(司令長官[[トーマス・フィリップス]]海軍大将)は、この日本軍マレー上陸部隊の輸送船団攻撃のため、Z部隊を編成して12月8日17時過ぎにシンガポールを出航した。
34行目:
* 駆逐艦:エレクトラ、エクスプレス、[[テネドス (駆逐艦)|テネドス]]、[[ヴァンパイア (駆逐艦・初代)|ヴァンパイア]](この艦はオーストラリア籍)
 
この他にシンガポールには軽巡洋艦や駆逐艦が存在したが、いずれも修理中や低速などの理由でZ部隊には加わらなかった。この時までに、米太平洋艦隊が真珠湾で受けた損害の大きさは明らかになっており、その増援は望めなかったが、チャーチル首相はZ部隊を快速の遊撃部隊として活用することを主張した。フィリップス提督は、自部隊は単独では日本艦隊に対抗するには力不足であり、かつ空軍の航空支援には期待できないことを知っていたが、マレー半島が侵攻される危機に際して出撃しないわけにはいかなかった。またインドシナの日本軍基地からの距離を考えると、日本軍の空襲による危険は大きくなく、また主力艦が致命的な被害を受けることもないだろうと判断していた。そのときまでに作戦行動中に空襲で沈められた最も大きな軍艦は重巡洋艦だった。
 
一方、日本海軍の戦力としてこの方面には[[近藤信竹]]中将指揮の[[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]]があり、戦艦としては[[金剛 (戦艦)|金剛]]と[[榛名 (戦艦)|榛名]]があった。近代化改装を受けてはいたが、両艦とも艦齢は27年を越えており、また兵装・装甲の厚さも元は巡洋戦艦であり、戦艦として建造されたプリンス・オブ・ウェールズよりも劣っていたため、相手として最新鋭のプリンス・オブ・ウェールズは想定されてはいなかった。また戦闘が始まったときは日本の戦艦部隊は北に離れており、海戦には間に合わず、戦艦同士の砲戦は起こらなかった。ただし後の調査で、両軍艦隊は一時プリンス・オブ・ウェールズの主砲射程圏まで接近していたことが明らかになっている。他にも[[巡洋艦|重巡洋艦]]や[[水雷戦隊]]もあったが、砲力の差は如何ともしがたく、万が一の際は水雷攻撃に全力を傾けるつもりであった。いずれにせよ、8日および12月9日には敵情報が入ってこなかったことから「特に敵情に変化はなし」と判断。金剛、榛名以下の艦隊は[[カムラン湾]]に引き上げて燃料補給を実施することした。輸送船団護衛の任にあった[[小沢治三郎]]中将([[重巡洋艦]][[鳥海 (重巡洋艦)|鳥海]]座乗)指揮の[[南遣艦隊]](巡洋艦及び水雷戦隊など)も、上陸部隊を乗せた輸送船団の護衛を終えてカムラン湾に引き返しつつあった。