「平岡正明」の版間の差分

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やがてブントから脱退して[[宮原安春]]らと政治結社[[犯罪者同盟]]を結成。[[1963年]]、同盟機関誌の単行本『赤い風船あるいは牝狼の夜』を刊行したところ、同書に収録した[[吉岡康弘]]撮影の無修正[[ヌード]][[写真]]が問題となり、[[猥褻図画頒布]]の容疑で[[警視庁]]から[[指名手配]]を受けたが、[[不起訴]]となる。なお、この書籍に[[赤瀬川原平]]の「千円札を写真撮影した作品」が掲載されていたことから、「[[千円札裁判]]」が起きるきっかけになった。<br>
 
[[1964年]]、[[現代思潮社]]から『韃靼人宣言』を刊行して評論家デビュー。[[1967年]]の著書『ジャズ宣言』(イザラ書房)からジャズ評論の分野にも進出。[[1969年]]、[[澁澤龍彦]]の後任者として天声出版刊『[[血と薔薇]]』第4号を編集。<br>
また、[[谷川雁]]・[[吉本隆明]]の「[[自立学校]]」事務局、[[谷川雁]]の[[ラボ・パーティ|ラボ教育センター]]などを転々とする。一方、「犯罪者同盟」以来のアナーキーな行動や著作で、新左翼系文化のカリスマ的存在となる。<br>
1970年には、[[松田政男]]、[[足立正生]]、[[佐々木守]]、[[相倉久人]]と「[[批評戦線]]」を結成し、雑誌『第二次・[[映画批評]]』を創刊した。<br>