「教部省」の版間の差分

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m 大教正は長官ではない。
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教導職の全国統括機関であった[[大教院]]は東京芝にある[[増上寺]]内に設置された。大教院の設置は仏教主導で行われた事もあり、増上寺の施設献納も自発的なものだったが、神道勢力が主導権を握りはじめると、献納を拒否する動きをみせた。しかし、増上寺の献納は予定通り進められ、なかば強引に増上寺本堂は大教院として召し上げられ、大教院神殿の拝殿として用いられた。更には神殿で行なわれる祭祀に教導職である僧侶の参列と拝礼を義務付けた為に仏教勢力の一部を激しく怒らせる結果となった(又、その反面に幟を掲げるなどして熱烈な祝福を示した僧侶もいた)。その後、仏堂の中に神社が設けられた事に反発した廃仏主義者の旧薩摩藩士によって[[明治]]7年([[1874年]])1月1日に放火され、旧増上寺本堂は全焼したが神体はかろうじて助け出された。この神体は[[芝東照宮]]に一時奉遷され、神道勢力が新たに設置した[[神道事務局]]の神殿に遷された。
 
== 教部卿など官員 ==
;教部卿
*[[嵯峨実愛]](1872年)
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*[[宍戸璣]](1872年 - 1877年)
 
== ;教導職 ==
*[[導職]]・・・長官を参照。
*[[中教正]]
*[[少教正]]
 
== 関連項目 ==