「ゾイ・パレオロギナ」の版間の差分

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*[[:ru:Семён Иванович (князь калужский)|セミョン]](1487年 - 1518年)…カルーガ公
*[[アンドレイ・イヴァノヴィチ (スターリツァ公)|アンドレイ]](1490年 - 1537年)…スターリツァ公
*エヴドキヤ(1492年以前 - 15031513年)…[[カザン・ハン国]]の君主イブラーヒームの息子[[:ru:Худай-Кул|フダイ=クル]](ピョートル・イブラヒモヴィチ)と結婚
 
後年、ソフィヤは夫の政治決定に大きな影響力を持つようになった。大公妃は「如才ない」性格と言われ、イヴァン3世はソフィヤの言うがままになっているとも噂されていた。結婚した1472年、ソフィヤは夫がモンゴル系の近隣の諸王たちに貢物をして機嫌を取っていることに衝撃を受け、夫を説得してモンゴル人への貢納を1480年までには完全に止めさせた、とされる。またソフィヤは初めてモスクワの[[クレムリン]]宮廷にビザンツ式の儀式と煩雑な宮廷儀礼を持ちこんだ人物だと考えられている。またソフィヤはモスクワを「[[第三のローマ]]」とする思想を気に入っていた。当時のロシアの王族や貴族の女性は公の場から隔離された生活を送る決まりであったが、ソフィヤはこの習慣に従わなかった。大公妃は「女部屋」に閉じ込められなかっただけでなく、西ヨーロッパの王妃たちと同様に外国使節の謁見に応じていた。