「モンパルナス駅」の版間の差分

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[[1900年]]には線路4本とホームが増設されたが、[[第一次世界大戦]]後にはそれでもホーム不足が深刻になってきた。そこで[[1929年]]に、当時の駅よりも南のメーン広場(現ビヤンヴニュ広場)とヴォージラール大通りの南側に到着列車用のメーン駅(Gare du Maine)が作られた。この位置はほぼ現在のモンパルナス駅の位置である。[[1934年]]にはメーン駅に出発用のホームも設けられ、長距離列車はメーン駅、近郊列車はモンパルナス駅と使い分けられるようになった。
 
[[1944年]]の[[パリの解放]]では、モンパルナス駅が重要な舞台となった。[[8月25日]]、南側からパリに入城した[[自由フランス]]軍第2機甲師団の[[フィリップ・ルクレール]]はモンパルナス駅に司令部を置き、[[ドイツ軍]]との[[市街戦]]の指揮をとった。同日16時頃、ドイツ軍のパリ駐留部隊司令官[[ディートリヒ・フォン・コルティッツ|フォン・コルティッツ]]が駅に出頭し、ルクレールとの会談の後降伏した。
 
[[1960年代]]に入ると、パリの[[再開発]]の一貫としてモンパルナス駅を南に移転してメーン駅と統合し、跡地にオフィスビルとショッピングセンターを建設することになった。新駅への移転は[[1965年]]に行われた。この時点では駅舎は頭端側(現ポルト・オセアン)のみであり、パスツール大通りは単なる跨線橋だった。旧駅の跡地には[[1972年]]に[[モンパルナス・タワー]]が完成した。