「藤堂高敏」の版間の差分

編集の要約なし
m (bot:導入部などのスタイル修正)
1728年、疱瘡が原因で倒れる。将軍・[[徳川吉宗]]から薬を下賜されたが一向に良くならず、4月13日に[[津城]]にて死去した。死後、家督は一族から迎えた養嗣子の[[藤堂高治]]が継いだ。高治は初代藩主・[[藤堂高虎]]の弟・高清の子孫であり、わずか5代で初代藩主・高虎の男系血統は絶えることとなった。法号:大輪院殿智月高映権大僧都。
 
{{先代次代|[[津藩|藤堂氏(津藩|5代)当主]]|1708~1728|[[藤堂高睦]]|[[藤堂高治]]1708-1728}}
 
[[Category:藤堂氏|たかとし]]
5,608

回編集