「崧沢文化」の版間の差分

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{{記事名の制約|{{lang|zh|崧}}沢文化}}
{{中華圏の事物
'''崧沢文化'''(すうたくぶんか、{{lang|zh|崧澤文化}}、{{ピン音|sōngzé wénhuà}}, Songze culture, [[紀元前3900年]]頃-[[紀元前3200年]]頃)は、[[中国]]に存在した[[新石器時代]]の文化で、[[長江]]河口付近の[[太湖]]周辺に広がっていた。[[1960年]]から[[1970年代]]にかけて[[上海市]][[青浦区]]の崧澤村で発掘された青浦崧澤遺跡を[[標式遺跡]]とする。[[1982年]]、中国考古年会は、太湖周辺で先行して発展した[[馬家浜文化]]と、後に発展した[[良渚文化]]の間に栄えた独自の文化であったと認定し、崧沢文化と命名した。
|タイトル =崧沢文化
|画像種別 =
|画像 =
|画像の説明=
|繁体字 =崧澤文化
|簡体字 =崧泽文化
|ピン音 =Sōngzé Wénhuà
|通用 =
|発音 =ソンズー ウェンフア
|注音符号 =
|日本語 =すうたく ぶんか
|英文 =Songzen Culture
}}
 
'''崧沢文化'''(すうたく-ぶんか)は[[中華人民共和国]][[浙江省]]及び[[上海市]]の[[長江]]下流{{lang|zh|崧澤文化}}、{{ピン音|sōngzé wénhuà}}, Songze culture, [[太湖]]周辺に[[紀元前3900年]]頃-から[[紀元前3200年]]頃)は、[[中国]]かけて存在した[[新石器時代]]の文化[[長江]]河口付近の[[太湖]]周辺に広がっていた。[[1960年]]から[[1970年代]]にかけて[[上海市]][[青浦区]]村で発掘された青浦崧遺跡を[[標式遺跡]]とする。[[1982年]]、中国考古年会は太湖周辺で先行して発展した[[馬家浜文化]]と、後に発展した代の[[良渚文化]]の存在した栄えた独自の文化であったと認定し、崧沢文化と命名した。
 
崧沢文化の遺跡からは[[石器]]や骨器のほか、墓穴からは副葬品として多数の[[玉]]器が発見されている。また[[陶器]]では[[鼎]]などの調理器や食器が出土し、夾砂紅褐陶や泥質紅陶をはじめとして、さらに高温で焼いた黒陶、灰陶なども出土した。土器片の中には、刻画紋や刻画符号などが刻まれているものもあった。
 
== 外部リンク ==
* [http://abc0120.net/words/abc2007031806.html 崧文化とは - 意味・解説 : 考古用語辞典 Archeology-Words]
* [http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/13-4suutaku.htm 崧文化(B.C.3900~B.C.3200)]
* [http://fjtct.now.cn:7751/baike.baidu.com/view/416015.htm 崧文化_百度百科]
 
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