「アレクサンドリアのクレメンス」の版間の差分

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生没年を含めてクレメンスの生涯についてはほとんど知られていない。しかし、彼の著作『ストロマテイス』の記述や流麗なギリシア語文体、ギリシア古典の深い知識などからアテネの裕福な家庭の出身で高等教育を受けていたことがうかがえる。クレメンス自身によれば、ギリシアを出て諸国を遍歴していてクレメンスはアレクサンドリアでキリスト教の教師パンタイノスに出会い、彼に学んだ。パンタイノスの死後、ディダスカレイオンといわれるキリスト教を教える学校を開いてそこで教えた。カイサリアの[[エウセビオス]]は著書『教会史』の中で「[[オリゲネス]]もクレメンスに学んだ」と記している。[[セプティミウス・セウェルス]]帝の迫害のさなかにアレクサンドリアを離れ、[[カッパドキア]]に逃れたといわれている。
 
クレメンスが[[司祭]]であったかどうかも定かではない。エウセビオスはクレメンスが「[[長老 (キリスト教)|長老]]」であったと記しているが、長老というのが教会における職階を意味するのか、単なる敬称なのかが定かではないからである。
 
==思想的特徴==
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