「ホルヘ・ラファエル・ビデラ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
ko:호르헤 라파엘 비델라(2010년 4월 2일 (금) 12:18)を翻訳。
 
編集の要約なし
4行目:
|画像=Jorge Rafael Videla.jpg
|画像サイズ=
|国名=アルゼンチン{{ARG}}
|代数=第43
|職名=大統領
14行目:
|元首=
|出生日=[[1925年]][[8月21日]]
|生地={{ARG}}・[[ブエノスアイレス州]][[メルセデス (ブエノスアイレス州)|メルセデス]]
|死亡日=
|没地=
24行目:
 
== 来歴 ==
[[ブエノスアイレス州]][[メルセデス (ブエノスアイレス州)|メルセデス]]に生まれる。国軍士官学校を卒業後、士官学校校長などの要職を歴任し、[[1973年]]には陸軍参謀総長、[[1975年]]にはペロン大統領により陸軍総司令官に任命された。かねてから、極度の[[インフレーション|インフレ]]と[[左翼]]テロの多発によって、ペロンに対する信頼が失墜しきっていたこともあり、[[1976年]][[3月24日]]にビデラを中心とする軍部はクーデターを起こし、ペロンの追放に成功、軍事評議会を設置し、5日後の[[3月29日]]に大統領に就任した。
 
当初ビデラは、政治ならびに経済、社会的混乱が収まれば民政を復帰させるを公約していた。しかし、国会機能を停止させ、左翼ゲリラ掃討を理由で多くの一般市民を逮捕した。これにより、1万3千人から3万人以上が行方不明となり、後に「汚い戦争」と呼ばれることとなるこの弾圧は、国内外から多くの非難を浴びることとなった。