「クメン王国」の版間の差分

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Dabofish (会話 | 投稿記録)
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== クメン内乱の末路 ==
7214年6月に、クメン政府は、メルキア政府との間に停戦協定を結んだ。これはビーラーの反乱に悩まされていたことと、クメン王国早期近代化の為に、妥協と打算が入ったものでもあった。しかし、メルキア政府を後ろ盾にした政府によって、事態は完全に政府側が握り、ビーラー側は後退を余儀なくされていく。
 
しかしだが、ビーラー側は激しい抵抗の末に玉砕したが、これには反乱の当事者であるカンジェルマンによって、計算されていた要素もあった。カンジェルマン自身は王族でありながら、時代の流れの前に古いクメンの発想や思想など不用という先鋭的な考えに行き着き、自ら反乱軍を組織したのも、そういった反政府勢力を自身と共に滅ぼし、クメン内乱を終結させるのみならず、自らが本心の理想としていた早期近代化を成すためだった。
 
ビーラー側だけでなく、傭兵部隊も司令官のゴン・ヌーを含む多大な犠牲者を出した。これは、ビーラーの根城であるカンジェルマン宮殿ムラハをメルキア軍ヘルダイバー部隊が敵味方問わずに抹殺した結果だが、これには反乱早期終結と、国体維持と治安維持を安定させる政府側の強い要求があった為とされていた。