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==来歴・人物==
[[桐朋女子高等学校]]音楽科卒業後18歳で[[ドイツ]]に渡り、北西ドイツ音楽アカデミーに学ぶ。エッセン市立交響楽団、[[フランクフルト放送交響楽団]]を経て、[[ケルン放送交響楽団]]の首席オーボエ奏者を務めた。日本でもオーボエ奏者の第一人者として知られている。父は名テノール、[[宮本正]]。桐朋高校での師は[[鈴木清三]]、ドイツでの師は[[ヘルムート・ヴィンシャーマン]]。
日本でのデビューは[[1972年]]末に行った、クラリネットの[[村井祐児]]その他のグループでの室内楽演奏会。翌[[1973年]]夏に初のリサイタルを行い、その後ドイツ在任中も頻繁に日本でのリサイタル、室内楽、ポップ・ライヴなどを続けた。[[サイトウ・キネン・オーケストラ]]の主要メンバーでもあった。
 
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