「クロイソス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Xqbot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 変更: hu:Kroiszosz lüd király
編集の要約なし
16行目:
 
<!--以下、英語版を参考に、ヘロドトスの『歴史』から-->
ヘロドトスによると、クロイソスは紀元前595年頃に、リュディア王[[アリュアッテス]]([[:en:Alyattes II|Alyattes II]])の子として生まれた。アリュアッテスの死後、リディア王となったクロイソスは[[イオニア]]のギリシア人都市を次々と征服し、リュディアに併合した。ギリシアの賢人たちがクロイソスを訪問したのはこの頃のことである。ソロンもその一人で、クロイソスが金持ちの自分が世界一の幸福な人間だと言うと、ソロンは金より大事なものがあるし、死ぬまで今の幸福が続くとは限らないと否定したという。ソロンの言うように、以後、クロイソスを次々に不運が襲う。[[ミュシア]]のオリンポス山(現ウル・ダー [[:en:Uludağ|{{lang|tr|Uludağ}}]])での猪狩りの最中、アドラストス([[:en:Adrastus (son of Gordias)|Adrastus]])の放った槍が的を外れて、婚礼を間近に控えていたクロイソスの息子アテュスを刺し殺してしまった。クロイソスは2年間その悲しみに沈んでいたが、今度はペルシアの[[キュロス2世]]との戦争が待っていた。クロイソスは戦いの前にデルポイやアンピアラオスの神託所に伺いを立てた。満足な神託がなかなか得られない中で、デルポイの神託は、曖昧な言い方だったが、もしペルシアと戦えば「帝国」は滅びるだろうと言い、クロイソスはその「帝国」をペルシアのことだと解釈し喜んだ。なお、この時の神託はデルポイの名高い神託の1つとされている([[:en:List of oracular statements from Delphi|List of oracular statements from Delphi]]を参照)。クロイソスはデルポイにおびただしい高価な奉納品を捧げ、どこを味方にすれないいかの神託を乞うた。答えはギリシアの中で最強の国だった。クロイソスはさらに奉納品を捧げ、自分の王権は永続できるかの三度目の神託を乞うた。その答えは[[アテナイ]]がギリシア最強の国であることを示していたのだが、クロイソスはそれがわからず、[[スパルタ]]をギリシア最強の国と信じ、同盟を組んだ。そして紀元前547年、リディア=スパルタ連合軍は[[アナトリア半島]]中央部のハリュス川(現[[クズルウルマク川]])に進軍した。クロイソスはさらに[[エジプト]]の[[アマシス2世]]、[[新バビロニア]]の[[ナボニドゥス]]にも応援を求めた。プテリアで矛を交えた後に冬の戦いを避け、いったん軍を解散させたところ、キュロスがリュディアの首都[[サルディス]]([[:en:Sardis|Sardis]])を攻め、サルディスは陥落、クロイソスは捕虜となった。
 
[[Image:Kroisos stake Louvre G197.jpg|thumb|right|280px|薪の山の上のクロイソス。[[アッティカ]]の赤像式[[アンフォラ|ネックアンフォラ]]。紀元前500年 - 紀元前490年。[[ルーヴル美術館]]]]
48行目:
[[Category:リュディア]]
[[Category:古代アナトリアの君主]]
[[Category:紀元前6世紀590年代生]]
[[Category:紀元前540年代没]]