「プロイセン同盟」の版間の差分

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'''プロシア連合'''({{lang-pl|'''Związek Pruski'''}} プルシ連合、{{lang-de|Bund vor Gewalt}} 闘争連合 / '''{{lang|de|Preußischer Bund}}''' プロイセン連合)は[[ドイツ騎士団]]に対抗することを目的として[[プロイセン|プロシア]]地方の20の都市と貴族や僧侶53人が合同して[[1440年]][[3月14日]]に結成された、[[ポーランド人]]と[[ドイツ人]]の自治領連合である。この連合のリーダー格は[[グダニスク]]、[[エルブロンク]]、[[トルニ]]の3都市である。同年[[4月3日]]にはさらに7つの都市が加盟した。
 
プロシア連合は[[ポーランド・リトアニア合同]]の[[ポーランド王国]]と[[同盟]]した。ポーランド王国は十三年戦争でドイツ騎士団と戦って勝利し[[1466年]]に戦争を終結させ、同時にドイツ騎士団の本拠地[[マルボルク城]]を獲得、[[第二次トルニ和約]]によりドイツ騎士団はポーランド王を[[君主]]としてポーランド・リトアニア同君連合に加盟した。これによりプロシア連合の諸都市はドイツ騎士団の圧力から完全に解放され、空前の栄華を極めることとなった。第二次トルニ和約以後もプロシア連合はポーランド王国内プルシ(プロシア)地方の自治領連合としてポーランド王の庇護を受け続け、[[1569年]]の[[ルブリン合同]]で[[ポーランド・リトアニア共和国]]が発足すると連邦内のポーランド王国の一般領となってさらに発展し、ポーランド・リトアニア連合による[[オスマン帝国]]、[[フメリヌィーツィクィイの乱|反乱コサック]]、[[モスクワ大公国]]、[[スウェーデン王国]]、[[プロイセン王国]]などとの戦争において、プロシア連合の諸都市の住民は大半がドイツ語(当時のドイツ系諸方言)を[[母語]]とする人々でありながらも、彼らの愛する[[祖国]]「ポーランド」とその[[多民族国家]]精神を守るために活躍したのである。
 
==加盟都市==