「セビリア万国博覧会」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
1行目:
'''セビリア万国博覧会'''('''せびりあばんこくはくらんかい''')は、[[1992年]]に[[スペイン]]南部、[[アンダルシア州]]の州都[[セビリア]](セビージャ、Sevilla)で開催された[[国際博覧会]]である。[[1970年]]の[[日本万国博覧会]](大阪万博)以来の一般博であり、176日間の会期([[4月20日]] - [[10月12日]])の間に総入場者数は約4181万人に及んだ。
 
[[File:Lago Expo92 Sevilla.jpg|thumb|450px|セビリア万博会場風景]]
同地に葬られている[[クリストファー・コロンブス]]が[[1492年]]に「新大陸」に到達してから500年に当たる記念行事として設定され、「発見の時代」がテーマであったが、ヨーロッパ中心の歴史観が一方的であるという批判も起こった。万博最終日はコロンブス艦隊が新大陸を発見した、すなわち[[バハマ]]諸島のサン・サルバドル島(グァナハニ島)に上陸した日付であった。
 
6 ⟶ 7行目:
 
==日本による出展==
[[File:Pabellon de japon expo 92.jpg|thumb|300px|left|[[日本館]]]]
日本政府もこの万博には参加した。総合プロデューサーは作家の[[堺屋太一]]が務め、木造のパビリオンは建築家の[[安藤忠雄]]が設計した。館内では[[安土城]][[天守閣]]の最上部(5-6階)の原寸復元がメイン展示として紹介され、6代目尾上丑之助(現在の[[尾上菊之助 (5代目)|5代目尾上菊之助]])による歌舞伎などの上演も行われた。万博終了後、安土城の原寸復元は[[滋賀県]][[近江八幡市]]の「[[安土城天主信長の館]]」へ移築され、現在でも公開されている。
 
また、万博開催構想を発表していた[[愛知県]]がPR活動を行った。この時の活動の一部は[[2005年]]開催の[[2005年日本国際博覧会]](愛知万博)へとつながっている。
 
セビリア万博の際には[[サンタ・マリア号]]らコロンブスの船団を成した3隻の船や、[[フェルディナンド・マゼラン]]の船団においてただ1隻、世界一周を果たして帰還した[[ビクトリア号]]の復元船が建造されており、いた。復元船ビクトリア号は愛知万博にあわせて世界一周に挑み、その途上、万博開催期間中の[[名古屋港]]にも寄港している。
 
== 関連項目 ==