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== 概要 ==
[[1966年]](昭和41年)に5チーム('''[[西武鉄道]]、[[王子製紙]]、[[古河電気工業|古河電工]]、[[札幌アイスホッケークラブ|岩倉組]]、[[近畿大阪福徳相互銀行アイスホッケー部|福徳相互銀行]]''')でスタートした。日本の全国規模の社会人スポーツリーグでは[[日本野球機構|プロ野球]]、[[日本サッカーリーグ|社会人サッカー]]に次いで3番目、ウィンタースポーツとしては初のリーグ戦だった。
 
[[1972年]](昭和47年)に福徳相互銀行が廃部になったが、西武鉄道を分割し国土計画(現・後の[[コクド]])を設立し、チーム数を維持した。[[1974年]](昭和49年)に[[日本製紙|十條製紙]](現・[[日本製紙|日本製紙クレインズ]])が加盟し、6チーム体制となる。[[1979年]]に岩倉組が廃部となるが、[[雪印乳業|雪印]]がチームをそのまま引継いだ。
 
リーグ戦開始当初は5チームによる2-3回総当り(年度による)で行われたが、その後リーグのレベルアップを図るため[[1981年]]シーズンから6回総当りに変更したが、優勝チームが圧倒的な強さを見せ付ける傾向からリーグ戦の終盤の試合の質を落とす懸念を考慮し、[[1990年]]から[[プレーオフ]]制度(すべて5戦3勝制)をスタートさせる。これは6回戦総当りのリーグ戦を予選リーグとし、その上位3チームで争う仕組み。原則として1位は決勝戦へ、2位と3位は準決勝を争って決勝進出チームを決める。ただし3位のチームは1位のチームからみて勝ち点10以上の差が付いた場合にはプレーオフ出場資格を失い、1位と2位による決勝戦のみ行うというものだった。
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1996-[[1997年|97年]]シーズン以後再び1シーズン制に戻し、プレーオフも上位4チームに出場枠を変更。1位と4位、2位と3位が準決勝を行い、その勝者同士で決勝戦を行う仕組みにした。
 
[[1999年]](平成11年)には古河電工が廃部となるが、クラブチーム[[H.C. TOCHIGI 日光アイスバックス|HC日光アイスバックス]]を設立しチームを引継いだ。[[2001年]](平成13年)には雪印が廃部となるが、クラブチーム[[札幌アイスホッケークラブ|札幌ポラリス]]がチームを引き継ぐ。しかし札幌ポラリスは運営資金不足などを理由に僅か1年で休部となり、[[2002年]]シーズンは28年ぶりに5チームでのリーグとなる。さらに[[2003年]](平成15年)に[[西武鉄道アイスホッケー部|西武鉄道]]が廃部となり、[[SEIBUプリンス ラビッツ|コクド]]に一本化されチーム数は4チームとなった。
 
リーグ戦はこれに伴って1シーズン制+決勝トーナメントの方式から8年ぶりに2シーズン制(8回総当りを前・後期各4回ずつに区切る。各ステージの1位チーム同士で5戦3勝制のプレーオフを行う。ただし、同一チームが1位となった場合についてはそのチームの年間優勝となり決勝戦は行わない)に変更された。
 
[[SEIBUプリンス ラビッツ|コクド]]のほか、[[HC日光アイスバックス]](旧・[[古河電工]])、[[王子イーグルス|王子製紙]]、[[日本製紙クレインズ]]が参加している。[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で放送された「[[プライド (テレビドラマ)|月9ドラマ プライド]]」の影響で観客動員数が一時的に増加したが、ドラマのクライマックスと重なる3月に予定していたプレーオフが[[SEIBUプリンス ラビッツ|コクド]]が前後期とも1位となったため開催されなかったこともあり、短期的な現象に終わった。
 
2003〜2004年シーズンからは日本リーグとは別に[[大韓民国|韓国]]のチーム、[[安養ハルラ|ハルラ・ウィニア]]を加えた5チーム(4回総当たり)で「'''[[アジアリーグアイスホッケー]]'''」を開催した。北米2カ国(アメリカとカナダ)をまたぐNHLを範にとり、[[アジア]]各国の強豪チームを集結させた大会を目指しており、2004〜2005年シーズンからアジアリーグに3チームが新規加盟し規模が拡大されたことにより日本リーグは休止となった。