「ラ・ルヴュ・デュ・シネマ」の版間の差分

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* [[1928年]]、21歳の青年[[ジャン=ジョルジュ・オリオール]]により[[パリ]]で創刊。
* [[1931年]]、いったん廃刊する。オリオールは[[脚本家]]の道を歩む。
* [[1946年]][[10月]]、[[第二次世界大戦]]後、オリオールが当時26歳の[[ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ]]とともに復刊に尽力、新創刊する(第二期創刊)。ドニオル=ヴァルクローズが翌[[1947年]]編集長に就任([[1947年]] - [[1949年]])。当時、『[[レクラン・フランセ]]』誌が多くの[[映画人]]の協力を得て、絶大なる地位を築いていたことから、それに対抗する雑誌を目指そうというのが、この第二期創刊の目的であった。
* [[1950年]][[4月2日]]、オリオールが交通事故で死去(43歳)、それとともに廃刊となる。
* ドニオル=ヴァルクローズはオリオールの遺志を継ぎ、[[アンドレ・バザン]]とともに第三期の復刊をめざすが、版元から『ラ・ルヴュ・デュ・シネマ』の名称を使用する許諾を得られず、翌[[1951年]][[4月]]『カイエ・デュ・シネマ』創刊という形に結実する。ここには[[エリック・ロメール]]が編集し圧倒的に若い執筆陣を抱えた『[[ラ・ガゼット・デュ・シネマ]]』([[1950年]][[5月]] - [[11月]])も合流し、当時のパリの[[シネフィル]]の大同団結となった。