「池田満寿夫」の版間の差分

少年時代から文学に親しんだ池田は、無名時代には謄写版刷りの私家版詩集や詩画集を発行した。『美の王国の入口で 私のなかの世界美術』(1976年、芸術生活社)では美術評論家顔負けの独創的な美術論を展開。新聞・雑誌に多様なエッセイを発表している。[[森茉莉]]、[[加藤郁乎]]、[[澁澤龍彦]]、[[吉行淳之介]]、[[野坂昭如]]らの詩集、著作本の装丁もしている。
 
ベストセラーとなった小説[[エーゲ海に捧ぐ]]』は42歳のとき、米国滞在中に雑誌『[[野時代]]』編集長の誘いで生まれた。『[[朝日ジャーナル]]』連載のエッセイが好評だったためで、個展開催のため帰国した際、ホテルに5日間缶詰となって書き上げた<ref>『朝日新聞』1989年5月14日付夕刊</ref>。このとき池田は実際にはエーゲ海を訪れたことはなかった。1976年、野生時代新人文学賞を受賞。翌年、[[芥川賞]]を受賞した。画家が受賞したのは初めてで、池田は“時代の寵児”になった。
 
芥川賞の選考委員[[井上靖]]、[[遠藤周作]]、[[大江健三郎]]、[[瀧井孝作]]、[[永井龍男]]、[[中村光夫]]、[[丹羽文雄]]、[[安岡章太郎]]、[[吉行淳之介]]だった。その評価をめぐり、3時間を超す異例の選考となった。り、[[吉行淳之介]]が池田を強く推薦し、[[永井龍男]]結果を不満とし、前回の村上龍と併せて芥川賞への不満を表明して選考委員を辞退した。
 
このほかの小説は『ミルク色のオレンジ』(1976年)、『テーブルの下の婚礼』(1977年)など、多数の著作がある。
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