「第一次世界大戦」の版間の差分

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第一次世界大戦による災厄の巨大さを目の当たりにしたことで、国際社会では厭戦感が広がった。戦後の国際関係においては平和協調が図られた。1920年にウィルソン大統領の提唱により人類史上初の国際平和機構である[[国際連盟]]が設立され、1925年には[[ロカルノ条約]]、1928年には主要国間で[[不戦条約]](ケロッグ=ブリアン協定)が締結された。このほかにも主要列強間においてワシントン海軍軍縮条約、ロンドン海軍軍縮条約といった軍縮条約が締結された。
 
しかしながら、これら国際平和のためのさまざまな努力もむなしく、第一次世界大戦の原因と結果をめぐる多くの戦後処理の失敗と、[[世界恐慌]]による経済危機により、[[共産主義]]がさらに勢力を得て、それに伴い[[イタリア]]では[[ファシズム]]が、[[ドイツ]]では[[ナチズム]]が台頭する。「全ての戦争を終わらせる戦争」とも言われたこの戦争の終結のわずか20年後、アドルフ・ヒトラーの登場で人類史上類のない被害をもたらす[[第二次世界大戦]]が再び繰り返された。

ヴェルサイユ条約成立後、「これは平和などではない。たかが20年の停戦だ」と[[フェルディナン・フォッシュ]]が宣言していた事は有名である。
後世の歴史家からは、過度な厭戦感と平和願望が第二次世界大戦を招いたとも言われる。つまり、ナチスドイツの初期の拡大時、つまりオーストリア侵攻やチェコスロバキア解体に際して、チャーチルが主張していたように、英仏が開戦を前提とした強硬姿勢をドイツに対して行っておけば、ドイツの領土的野心は膨らむことなく、第二次世界大戦は起こらなかったという見方である。