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[[紀元前323年]]のアレクサンドロスの死後の帝国の属領と地位の分割([[バビロン会議]])では、アサンドロスは[[カリア]]の太守位を得た。彼は[[アンティパトロス]]の下で[[ペルディッカス]]派の将軍[[アッタロス]]、[[アルケタス (オロンテスの子)|アルケタス]]と戦ったが、彼らに敗れた。しかし、ペルディッカス亡き後の[[トリパラディソスの軍会]]([[紀元前321年]])では、これまでの地位を維持した。
 
[[紀元前317年]]、[[フリュギア]]太守[[アンティゴノス1世|アンティゴノス]]が[[ペルシア]]や[[メディア]]での[[カッパドキア]]太守[[カルディアのエウメネス|エウメネス]]との戦いで忙しかった間、アサンドロスは[[小アジア]]での勢力を増大し、後に[[プトレマイオス1世|プトレマイオス]]、[[カッサンドロス]]によって結成された対アンティゴノス同盟のメンバーにもなった。[[紀元前315年]]、エウメネスを下したアンティゴノスがアサンドロスの同盟者に対する作戦行動を開始した時、アンティゴノスはアミソス(現[[トルコ]]の[[サムスン (都市)|サムスン]])を救出し、侵攻したアサンドロスの兵をカッパドキアから追放するために兵を預けて甥の[[プトレマイオス]]([[:en:Ptolemy (general)]])を送ったが、アサンドロスはプトレマイオスとカッサンドロスに助けられつつ[[紀元前313年]]まで占領地を維持した。しかしその後、アンティゴノスは彼に対して進撃して彼を降伏させ、全軍を拘束した。これによってアンティゴノスはアサンドロスに対して沿岸のギリシア都市の自由を復活させ、カリアの太守位をアンティゴノスに譲り、人質として兄弟の[[アガトン (フィロタスの子)|アガトン]]を差し出すという条件の講和の締結を強いた。しかし数日後アサンドロスはこの屈辱的な協定を破り、アンティゴノスの手からアガトンを取り戻そうとし、プトレマイオスと[[セレウコス1世|セレウコス]]に助力の使節を送った。アンティゴノスはアサンドロスのこの行動に憤慨し、すぐに軍を送り、アンティゴノスによってカリアは征服された。この時を境にアサンドロスは歴史の表舞台から消え、その後の彼の消息は不明である。
 
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