「スコット・マクレーン」の版間の差分

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メジャーのロースターに入っていない選手は所属球団は記載しない。
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|選手名 = スコット・マクレーン
|英語表記 = Scott McClain
|所属球団 = シカゴ・カブス
|背番号 =
|選手写真ファイル名 = HC-Scott-McClain.jpg
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|打席 = 右
|守備位置 = [[三塁手]]、[[一塁手]]、[[左翼手]]
|プロ入り年度 = [[1990年のMLBドラフト|1990年]]
|ドラフト順位 = MLBドラフト22巡目
|初出場 = MLB / 1998年5月14日<br />NPB / 2001年3月24日
|最終出場 = NPB / 2009年10月5日
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== 来歴 ==
{{by|1990年}}の[[ドラフト会議 (MLB)|MLBドラフト]]22巡目で[[ボルチモア・オリオールズ]]に入団指名され契約。[[ニューヨーク・メッツ]]を経て、{{by|1998年}}に[[タンパベイ・レイズ|タンパベイ・デビルレイズ]]で[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]デビュー。しかし目立った活躍はできず、翌{{by|1999年}}オフに解雇。[[{{by|2000年]]}}は[[コロラド・ロッキーズ]]傘下3Aでプレーした。
 
{{by|2001年}}に[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]に入団。同じ年に入団した[[アレックス・カブレラ]]とのコンビは「'''ツイン・バズーカ'''」と称され、この年は39[[本塁打]]を放った。翌{{by|2002年}}は[[手首]]の故障でシーズンの大半を棒に振ってしまうも、巨人との[[2002年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では活躍し(11打数4安打)、主軸に座った。{{by|2003年}}は26本塁打を放つも、外角の[[変化球]]に弱いという弱点を覚えられたことで.225の低打率にあえぎ、[[ホセ・フェルナンデス]]と入れ替わる形で西武ライオンズを解雇された。
 
{{by|2004年}}は[[シカゴ・カブス]]とマイナー契約を結んでいたが、カブレラが故障し、長距離砲の補強が急務だった西武ライオンズに4月末に復帰した。しかし打率.181、本塁打4本と大きく期待を裏切ってこの年限りで再び解雇された。ただ、この年2軍では桁違いの実力を見せ、23本塁打で[[イースタン・リーグ]]の本塁打王に輝いている。なおこの年のマクレーンは[[背番号]]「'''00'''」を使用したが、この数字が使われたのは西武ライオンズ球団史上初だった。
 
{{by|2005年}}から3A[[パシフィック・コーストリーグ]]で主にプレー。{{by|2006年}}は[[オークランド・アスレチックス]]傘下3Aで28本塁打、107打点を記録し、パシフィック・コーストリーグのMVPに選ばれた。
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=== 個人記録 ===
* 初出場・初先発出場:[[2001:2001]][[3月24日]]、対[[千葉ロッテマリーンズ]]1回戦([[西武ドーム]])、6番・[[三塁手]]として先発出場
* 初安打・初打点:2001年[[3月25日]]、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(西武ドーム)、4回裏に[[ネイサン・ミンチー]]から適時二塁打
* 初本塁打:2001年[[3月28日]]、対[[オリックス・バファローズ|オリックスブルーウェーブ]]2回戦([[神戸総合運動公園野球場|グリーンスタジアム神戸]])、2回表に[[小倉恒]]から
 
== 脚注 ==
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{{タンパベイ・デビルレイズ 1998年の創設時ロースター}}
 
{{DEFAULTSORT:まくれん すこつと}}
[[Category:1972年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:アイルランド系アメリカ人]]
[[Category:カリフォルニア州の人物]]
[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]]
[[Category:タンパベイ・レイズ及びタンパベイ・デビルレイズの選手]]
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[[Category:サンフランシスコ・ジャイアンツの選手]]
[[Category:広島東洋カープ及び広島カープの選手]]
[[Category:アイルランド系アメリカ人]]
 
[[Category:カリフォルニア州の人物]]
{{Baseball-biography-stub}}
[[Category:1972年生]]
[[Category:存命人物]]
 
[[en:Scott McClain]]