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== 歴史 ==
[[9世紀]]には、[[石川県]][[羽咋郡]][[志賀町]][[福浦港]]の福良津と共に[[渤海 (国)|渤海使]]の為の使節[[松原客館]]が置かれた。古来より[[氣比神宮]]の神苑として[[神人]]が近隣住民の利用を管理していたが、[[1570年]]の[[織田信長]]の越前攻略により氣比神宮の所領などが没収され、このときに松原も没収された。[[江戸時代]]には[[小浜藩]]の[[御用木]](藩有林)となり、近隣住民は藩への納税によって燃料となる松葉採集を行ってきた。松原はこうした管理によって後世へと残った<ref>[http://wf.ocean.cst.nihon-u.ac.jp/2005-2006kennkyuugyouseki/gakujutu%20pdf/gakujutu%20satou.pdf 海浜空間における松林の景観管理に関する研究]</ref>。
 
明治以降は官有林となり、[[1899年]]に国有林野法制定とともに[[国有林]]となった。現在、潮害防備[[保安林]]および保健保安林に指定され、[[林野庁]]福井森林管理署によって保護管理がなされている。