「神楽坂はん子」の版間の差分

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| Associated_acts = [[古賀政男]]<br />[[西条八十]]
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'''神楽坂 はん子'''(かぐらざか はんこ、本名・鈴木玉子、[[1931年]][[3月24日]] ‐ [[1995年]][[6月10日]])は昭和期の[[芸者]][[歌手]]。
 
 
== 来歴 ==
 
東京都出身。両親の反対を押し切り、[[神楽坂]]で芸者をしていたところに作曲家の[[古賀政男]]がやってきて、「私、芸術家って大嫌い」と発言したり、その竹を割ったような性格が気に入られ、[[コロムビアミュージックエンタテインメント|コロムビア]]へスカウトされた。
 
[[1952年]](昭和27年]]に古賀作品の「'''こんな私じゃなかったに'''」でデビューする。同年の、[[江利チエミ]]の「テネシー・ワルツ」に対抗して作られた「'''ゲイシャ・ワルツ'''」が大ヒット。一躍スター歌手となる。その後も「見ないで頂戴お月様」「こんなベッピン見たことない」などのヒット曲を放つ。[[日本ビクター株式会社|ビクター]]からは[[神楽坂浮子]]という歌手も登場するほどの人気ぶりだったが、[[1955年]](昭和30年]]に身許引受人の意向で引退。公には結婚のための引退だと報道された。
 
昭和40年代に入り、[[懐メロ]]ブームが来るとはん子も歌謡界に復帰し、東京12チャンネル(現・[[テレビ東京]])の「[[なつかしの歌声]]」に出演し、「ゲイシャ・ワルツ」をはじめとした一連のヒット曲を披露したり、コロムビアでかつてのヒット曲をステレオで再録音したりもしたが、だんだんと消息が聞こえなくなり、[[1995年]][[6月10日]]、川口市の自宅で一人ひっそりと肝臓癌のため亡くなっていた。一人暮らしの自宅には焼酎が散乱していたという。{{享年|1931|3|24|1995|6|10}}。
 
== 代表曲 ==
* こんな私じゃなかったに(デビュー曲)
* ゲイシャ・ワルツ(生涯の持ち歌となった歌)
* だから今夜は酔わせてネ(はん子自身は「ゲイシャ・ワルツ」よりもこちらを気に入っていた)
* 見ないで頂戴お月様
* こんなベッピン見たことない
* 湯の町椿
* 博多ワルツ
* こんな美男子見たことない
* 雨の田原坂(はん子自身の[[詩吟]]入り)
 
== 外部リンク ==
* [http://www.jmdb.ne.jp/person/p0202650.htm 日本映画データベース 神楽坂 はん子]
 
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