「桂文三 (5代目)」の版間の差分

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Yumesaki (会話 | 投稿記録)
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== 経歴・人物 ==
父は演芸好きで母は三味線を演奏するなど芸事が好きだった、そんな縁で子供の頃から吉本の劇場通いをする。高校卒業後[[桃山学院大学]]に入学し[[落語研究会 (サークル活動)|落語研究会]](落研)に入る。この時の部長が現[[林家花丸]]で在学時の先輩であるのだが、入門して噺家になったのは文三の方が先で、故にどちらも互いに「さん」付けで呼び合っている。素人時代から桂文枝(当時小文枝)の審査員だった[[素人名人会]]に出演し名人賞を貰う、それが切っ掛けで小文枝の出演する落語会に顔を出すようになる。落語家になることを両親に相談、反対されるも説得し[[1991年]]4月に[[桂文枝 (5代目)|5代目桂文枝]]に入門、桂つく枝を名乗る。「つくしんぼ落語会」や、[[林家花丸]]、[[笑福亭生喬]]、[[桂こごろう]]らと共に「出没!ラクゴリラ」という落語会を定期的に開催している。[[日本舞踊]]([[花柳流]])や[[三味線]]もこなす。
 
愛称はそのキャラクターと風貌から「踊る肉団子の甘酢あんかけ」。これは[[2006年]][[8月7日]]放送[[NHK大阪放送局]]制作の寄席番組「[[文珍・南光のわがまま演芸会]] -第1夜- 」で、文珍推薦の若手落語家として出演した際、観覧客へのアンケートで愛称を募集されたのがきっかけである。その時は「肉団子。甘酢あんかけ中華風」と五七五で称された<ref>[[角田信朗]]の愛称「踊る肉団子の甘酢がけ」とほぼ同じであるが、詳細は不明。</ref>。2008年に20kg減量した。