「竹下慎太郎」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Eiken2 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
編集の要約なし
27行目:
* [[阪神タイガース]] (2004)
}}
'''竹下 慎太郎'''(たけした しんたろう、[[1971年]][[7月10日]] - )は、[[横浜ベイスターズ大分県]][[阪神タイガース大分市]]に所属した出身の[[プロ野球選手]]([[投手]])
 
== 経歴 ==
===プロ入り前===
[[大分県立大分工業高等学校|大分工業高校]]時代の甲子園出場はならなかったが、3年夏の[[全国高等学校野球選手権大分大会|大分県大会]]でベスト8入りを果たした。卒業後は三菱自動車川崎(現・[[三菱ふそう川崎硬式野球部|三菱ふそう川崎]])に入社したが、その後郷里の大分に戻り、大分硬式野球倶楽部(現・[[新日鐵大分硬式野球同好会]])で野球を続けた。
 
右足を高く上げて始動するフォームから、140km/hを超える速球と「まともに打たれたことはない」と豪語するほどの切れを誇る[[スライダー (球種)|スライダー]]を投げ下ろした。年を追って制球力も安定し、大分硬式野球倶楽部の左腕エースとして活躍した。自チームでの[[都市対抗野球大会]]出場は叶わなかったが、[[1999年]]と[[2000年]]には[[三菱重工長崎硬式野球部|三菱重工長崎]]の補強選手として出場し、それぞれ準優勝、ベスト8に貢献した。
 
[[2000年]]の[[プロ野球ドラフト会議|ドラフト]]8位で[[横浜ベイスターズ]]に指名され、29歳・妻子連れでの入団を決めた。29歳4ヶ月でのドラフト指名は[[市村則紀]](30歳5ヶ月)に続く高齢入団として話題となった。
 
===プロ入り後===
8位指名ながらも即戦力として期待され、中継ぎ・ワンポイント[[リリーフ]]として多く起用された。また、プロ入りの際に左打者対策として[[スリーーター]]にしたのも吉と出た。1年目の[[2001年]]には53試合、翌[[2002年]]も44試合に登板した。
 
1年目の[[2001年]]には53試合、翌[[2002年]]も44試合に登板した。
しかし[[2003年]]は監督交代に自身の怪我も重なって登板数が激減し(14試合)、同年オフに金銭トレードで[[阪神タイガース]]に移籍した。翌[[2004年]]は一軍昇格目前でまたも故障し、再度の一軍登板を果たせぬまま戦力外通告を受けた。
 
しかし[[2003年]]は監督交代に自身の怪我も重なって登板数が激減し(14試合)、同年オフに金銭トレードで[[阪神タイガース]]に移籍した。翌[[2004年]]は一軍昇格目前でまたも故障し、再度の一軍登板を果たせぬまま戦力外通告を受けた。
[[2006年]]から横浜のスカウト(九州担当)を務めたが、球団の常駐スカウトを置かないという方針転換を受けて[[2007年]]オフに退団。
 
翌[[2004年]]は一軍昇格目前でまたも故障し、再度の一軍登板を果たせぬまま戦力外通告を受けた。
== 年度別投手成績 ==
 
[[2006年]]から横浜の[[スカウト]](九州担当)を務めたが、球団の常駐スカウトを置かないという方針転換を受けて[[2007年]]オフに退団。
 
==詳細情報==
=== 年度別投手成績 ===
{| {{投手成績|リーグ=日本プロ野球}}
|-
59 ⟶ 66行目:
|}
 
=== 背番号 ===
* '''54''' (2001年 - 2003年)
* '''52''' (2004年)