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'''ヒルダ・フォン・ナッサウ'''('''Hilda''' Charlotte Wilhelmine '''von Nassau''', [[1864年]][[11月5日]] - [[1952年]][[2月8日]])は、[[バーデン大公国|バーデン大公]][[フリードリヒ2世 (バーデン大公)|フリードリヒ2世]]の妃。[[フランス語]]名イルダ・ド・ナッソー(Hilda de Nassau)。[[ナッサウ公国|ナッサウ公]][[アドルフ (ルクセンブルク大公)|アドルフ]]と、妃[[アーデルハイト・マリー・フォン・アンハルト=デッサウ|アーデルハイト]]の末娘として、[[ヴィースバーデン・ビーブリッヒ]]で誕生した(父アドルフが[[ルクセンブルク大公]]となったのは、ヒルダが結婚した後の1890年であるため、彼女はルクセンブルク大公女とは呼ばれない)。
 
1885年9月20日、フリードリヒ2世と結婚した。しかし、子供をもうけることはなかった。1918年に全てのドイツ諸侯がそうであったようにバーデン大公国も消滅すると、夫妻は[[ボーデン湖]]上の島にある城に引退し、スウェーデン王子[[ヴィルヘルム (セーデルマンランド公)|ヴィルヘルム]]の息子であるヴィスボリ伯レンナルト・ベルナドッテを養子にした。ヴィルヘルムはフリードリヒ2世の妹[[ヴィクトリア・フォン・バーデン|ヴィクトリア]]とスウェーデン王[[グスタフ5世 (スウェーデン王)|グスタフ5世]]の次男であるヴィり、またグボリ伯レンナタフ5世は父アドフの異母妹[[ゾフィア・フォンベルテを養サウ|ソフィア]]の息にしであった。
 
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