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| 子 =実子なし。養嗣子:'''''[[内藤正縄]]'''''}}
 
'''内藤 正国'''(ないとう まさくに)は、[[江戸時代]]中期から後期にかけての[[大名]]。[[信濃国|信濃]][[岩村田藩]]の第5代藩主。信濃国岩村田藩内藤家6代。[[天保の改革]]を行なった[[老中]]・[[水野忠邦]]の叔父である。
 
[[安永]]2年([[1773年]])、[[肥前国|肥前]][[唐津藩]]の第2代藩主・[[水野忠鼎]]の四男として生まれる。はじめ、'''水野忠令'''(ただのり)と名乗った。[[寛政]]4年([[1792年]])10月17日、岩村田藩の第4代藩主・[[内藤正興]]の死去により、その婿養子となり、内藤正国と名乗り、正興の娘と結婚して内藤一族となった。そして、家督を継いで第5代藩主となる。