「カナン」の版間の差分

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== 歴史 ==
カナンという名称の起源は不明であるが、文献への登場は[[紀元前3千年紀]]とたいへん古い。[[シュメール]]人の都市[[マリ (シリア)|マリ]]の[[紀元前18世紀]]の残骸で発見された文書では、政治的な共同体として明瞭に見いだされる<ref>恐らくは都市国家間のゆるい連合であろう</ref>。
 
 
[[紀元前2千年紀]]には[[古代エジプト]]王朝の州の名称として使われた。その領域は、地中海を西の境界とし、北は南レバノンのハマトを経由し、東はヨルダン渓谷を、そして南は死海から[[ガザ]]までを含む<ref>これは、[[旧約聖書]]の「[[民数記]]」34章1-12節の記述と符合する。</ref>。
 
 
カナンはイスラエル人到来前には民族的に多様な土地であり、「[[申命記]]」によれば、カナン人とはイスラエル人に追い払われる7つの国民の1つであった<ref>「[[申命記]]」7章1節</ref>。また「[[民数記]]」では、カナン人は地中海沿岸付近に居住していたに過ぎないともされる<ref>「[[民数記]]」13:29</ref>。この文脈における「カナン人」という用語は、まさに「[[フェニキア]]人」に符合する。