「ナバス・デ・トロサの戦い」の版間の差分

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== 戦前のイベリア半島情勢 ==
[[1195年]]、[[アラコルスの戦い]]でカスティーリャ王[[アルフォンソ8世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ8世]]は、勢いに乗るムワッヒド朝の[[カリフ]]・[[ヤアクーブ・マンスール]]に敗れ、この戦いでムワッヒド朝は[[トルヒーヨ]](現[[エストレマドゥーラ州]])、[[プラセンシア]](同)、[[タラベラ]](現[[カスティーリャ・ラ・マンチャ州]])、[[クエンカ]](同)などの重要な町を奪った。そのため[[タホ川]]流域以南は依然としてイスラム勢力の支配下に置かれることになった。しかも同年、その敗戦につけこんだ[[レオン王国|レオン]]王[[アルフォンソ9世 (レオン王)|アルフォンソ9世]]から攻撃を受けた。これは退けたものの、このようにカスティーリャ王国は、東隣の[[アラゴン王国|アラゴン連合王国]]とは条約で国境を定めていたが、西隣のレオン王国やポルトガル王国とは国境紛争が繰り返されている状況であった。
 
== カトリック連合軍の集結と脱落者の続出 ==