「澶淵の盟」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
超プロ住民 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
10行目:
 
==澶淵之盟==
これに対して宋の朝廷は大いに狼狽し、[[王欽若]]などは金陵([[南京市|南京]])への避難を提案した。これに対して[[寇準]]は強硬に主戦論を主張し、皇帝[[真宗 (宋)|真宗]]に対して[[親征]]を主張し、真宗もこれを受け入れ、澶州(現[[河省]]濮陽)に赴いた。
 
両軍は膠着状態に陥り和平交渉が持たれた。初め遼側は領土の割譲を求めていたが、宋からすればそれだけは受け入れ難いとして財貨を送ることでの和平の道を探ることになる。寇準はむしろ遼が領土を割譲し、遼が自らを臣下と呼ぶなどの強硬な姿勢を貫くべきとの意見を出していたが、周りからの讒言もあり妥協した。