「全日本女子プロレス中継」の版間の差分

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*[[1997年]]10月の全女倒産騒ぎ以降は、放映が事実上ストップ状態になった。2回も過去の総集編が放映され、最初の総集編放映時のエンディングでは「これからも女子プロレスに注目していきたいと思います」とアナウンスされた。
*そして[[1998年]]7月、番組コンセプトを大幅に変更し「[[格闘女神ATHENA]]」として放映されることとなった。
 
==ネット局==
 
 
 
==備考==
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*また解説者には、[[植田信治]](コミッショナー)・[[宮本久夫]]・[[安部正之]]・[[佐藤匠市<!-- さとう しょういち -->]]など、当時の全日本女子プロレス全体の後援紙だった[[デイリースポーツ]]の記者が就いた。それに現役・元レスラーが加わることもあった。
*放送席に毎回必ず1~2組のタレントを「ゲスト」として迎えるのが、当番組の大きな特徴であった。常連となったゲストも数多い([[宮尾すすむ]]、[[団しん也]]、[[鈴木ヒロミツ]]、[[谷隼人]]・[[松岡きっこ]]夫妻など<!-- 松岡きっこは番組内で「女子プロレスのお母さん」の異名をとった。 -->)。これらのゲストがレスラーの場外乱闘に巻き込まれるのも、当番組の「お約束」になっていた。
*レポーターとして元「ニューヤンキース」の[[橋本美砂子]]に加え、所属レスラーの[[佐藤ちの]]らが担当(引退後も継続)
*当番組を製作していたのは、スポーツではなく、芸能・バラエティー番組を担当する部署だった。メインの実況アナだった志生野は、かつて著書のなかで「マット上に花の模様を描いて明るい雰囲気にしようとする発想は、芸能担当でなければ出なかったと思う」といった旨のことを書いている。
*1986年、長与千種とダンプ松本との間による、敗者髪切りデスマッチの再戦が決定したが、前回の反省を踏まえてテレビ中継は自粛されることとなった。その代替として全日本女子プロレスは、この再戦の模様を収録したビデオソフトを発売することにした。これが団体崩壊まで続いた「全女ビデオシリーズ」の第1号である。