削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Sudebot (会話 | 投稿記録)
m 江夏→江夏区
18行目:
その後、間もなく劉繇は病のために死去している。42歳であった。
 
孫策は[[許貢]]や王朗を破り[[江東]]を制覇し、袁術から自立した後に[[江夏区|江夏]]の[[黄祖]]を討つため遠征を行ったが、その帰途に豫章に立ち寄り、劉繇の棺を引き取って、遺族の元に返還すると共に、彼らを手厚く持て成した。王朗は孫策に手紙を送り、劉繇が孫策の一族と敵対することになったのは、袁術をめぐる行き違いがあったためであり、決して本心からのことではなかったのであるから、その遺族には恩愛を施すべきであろうと勧めている。
 
諸葛亮は後の『出師の表』で、孫氏に江東を席捲させた人物として王朗と共に名指しで批判している。