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{{Otheruses|歴史上14世紀中央ユーラシア人物「Urus」君主|中国のロシア系民族|オロス族|オンラインゲーム『ドリフトシティ』に登場する架空の地名「Oros」場所|ドリフトシティ#舞台}}
 
'''オロス'''('''Urus''', ? - [[1377年]])は、[[バトゥ]]家断絶後の[[ジョチ・ウルス]]の[[ハーン|ハン]]で、[[ジョチ]]の子[[トカ・テムル]]の子孫である。
 
[[1368年]]、[[シグナク]]でハン位につくと、バトゥ家と[[オルダ・ハン|オルダ]]家が断絶して以来混乱の続くジョチ・ウルスを統合し、ウルスの左右両翼の再編を目指し、[[1372年]] [[サライ (都市)|サライ]]を占領する。しかし[[ヴォルガ河]]流域を支配していた[[ママイ (キヤト部)|ママイ]]の勢力とは争わず、[[シルダリヤ]]方面に帰還する。[[1376年]]、[[ティムール]]の支援を受けた[[トクタミシュ]]の数次にわたる侵攻を受ける。1度目は子のクトゥルク・ブカに迎え撃たせ、トクタミシュの撃退には成功したもののクトゥルク・ブカが戦死を遂げる。2度目の侵攻では長子のトクタキヤが敗北するも、トクタミシュを負傷させ撤退に追い込んだ。3度目はティムールが自ら兵を率いて攻めて来たが、オロスは部隊を[[オトラル]]に派遣し、オロス自身はシグナク(サウランとの説も)を固めて持久戦に持ち込んだ。冬の到来によって両者は休戦し、ティムールは[[シャフリサブス|ケシュ]]に帰還する。
 
[[ジョチ]]の子[[トカ・テムル]]の子孫。
[[1368年]]、[[シグナク]]でハン位につくと、バトゥ家と[[オルダ・ハン|オルダ]]家が断絶して以来混乱の続くジョチ・ウルスを統合し、ウルスの左右両翼の再編を目指し、[[1372年]] [[サライ (都市)|サライ]]を占領する。しかし[[ヴォルガ河]]流域を支配していた[[ママイ (キヤト部)|ママイ]]の勢力とは争わず、[[シルダリヤ]]方面に帰還する。
[[1376年]]、[[ティムール]]の支援を受けた[[トクタミシュ]]の数次に渡る侵攻を受ける。一度目は子のクトゥルク・ブカに迎え撃たせ、トクタミシュの撃退には成功したもののクトゥルク・ブカが戦死を遂げる。二度目の侵攻では長子のトクタキヤが敗北するも、トクタミシュを負傷させ撤退に追い込んだ。三度目はティムールが自ら兵を率いて攻めて来たが、オロスは部隊を[[オトラル]]に派遣し、オロス自身はシグナク(サウランとの説も)を固めて持久戦に持ち込んだ。冬の到来によって両者は休戦し、ティムールは[[シャフリサブス|ケシュ]]に帰還する。
翌[[1377年]]春、ティムールの再度の侵攻を前にして病死する。この侵攻を迎え撃ち、ウストユルト台地で戦ったが、その際の負傷がもとで戦死したとする説もある。
 
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== 参考文献 ==
*S.G.クシャルトゥルヌイ,T.I.スミルノフ([[加藤九祚]]・訳)「カザフスタン中世史」『アイハヌム2003』([[学校法人東海大学出版会|東海大学出版会]] [[2003年]])
 
{{DEFAULTSORT:おろす}}
[[Category:中央ユーラシア史]]
[[Category:ジョチ・ウルスの君主]]
[[Category:1377年没]]