「第15ヘリコプター隊」の版間の差分

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{{軍隊資料
|名称 =
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|画像説明 =
|創設 = [[1972年]](昭和47年)[[11月21日]]<br />(第101飛行隊)
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|再編成 = {{和暦|2010}}3月26日<br />(第15飛行隊)
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|国籍 = {{JPN}}
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|規模 = [[隊]]
|兵科 = [[航空科 (陸上自衛隊)|航空科]]
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|所在地 = [[沖縄県]] [[那覇市]]
|編成地 = 那覇
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|上級部隊 = [[第1混成団]] - 第15旅団
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|担当地域 = [[南西諸島]]
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== 概要 ==
[[南西諸島]]地域における輸送支援を主任務とする。部隊の前身は[[第1混成団]]隷下の第101飛行隊であり、2010年3月の第15旅団編成に伴い、第101飛行隊より改編された。第101飛行隊は沖縄返還に伴う、第1混成団編成に伴って編成された部隊であり、1973年に編成されている。
*前身に第1混成団隷下の第101飛行隊を持ち、[[南西諸島]]地域における輸送支援を主任務とする。
 
*離島が多い地域特性上、災害派遣として[[航空機]]を使用した緊急患者輸送も多いものとなっている。[[ヘリコプター救急|緊急患者輸送]](急患空輸―きゅうかんくうゆ―と呼ばれている)は、年間250回を超えるものとなっており、2006年度には延べ回数が7,300回を超えている。急患空輸での活動範囲は南西諸島全般と広範囲(ほぼ[[日本|日本本土]]が収まる広さ)で、民間運用の[[ドクターヘリ]]では航続距離が届かない、夜間飛行運用が不十分などの理由のために、第10115飛行隊がその任務を担っている。運用には、[[UH-60 ブラックホーク|UH-60J/A]]ヘリコプターのみならず、[[大東諸島]]など[[空港]]がある遠距離飛行には、[[固定翼機]]である[[LR-2]]連絡[[偵察機]]も使用されている。
 
*急患空輸では、南西諸島各離島で発生した急病患者が、島内での[[救命]][[治療]]が困難な場合、役所など[[行政機関]]が所管県庁(この場合、[[沖縄県]]または[[鹿児島県]])の防災課を通し、各[[県知事]]が自衛隊による[[災害派遣]]を法根拠に第15旅団へ要請する。離島での[[地域格差]]や[[医療格差]]などが深刻化するなかで、第10115飛行隊の急患空輸任務は例年増加しており、[[2010年]]までに101飛行創設からの時代も含め、出動回数が1万件を超えるといわれ、世界中の[[軍隊]]、[[警察]]、[[消防]]が運用する[[航空機]]レスキューの出動回数の中で一番回数が多い。民間運用のドクターヘリと違い、24時間体制でスタンバイしているため、夜間の出動も多く、またいかなる天候状況でも飛ばなければならない状況にあるため、[[パイロット]]や[[航空機関士]]、[[管制官]]などを担当する隊員たちの練度と意識は高いといわれている。
 
*しかし[[1990年]]2月と[[2007年]]3月に患者輸送任務中に墜落事故を起こしている。両事故とも天候の悪い夜間でのフライトだった。[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]による地形表示装置を装備しない航空機で、夜間または悪天候下での救難能力の限界を示している。2007年の事故後、[[防衛省]]の[[守屋武昌]][[防衛事務次官]]は定例記者会見で、事故の原因究明とともに急患輸送の運用体制を見直すことを示した。
 
== 沿革 ==
* {{和暦|1972}}
: [[3月1日]]:'''臨時第101飛行隊'''が[[健軍駐屯地]]で編成。
: [[5月15日]]:[[沖縄返還]]
: [[11月21日]]:臨時第101飛行隊が[[那覇駐屯地]]に移駐し、'''第101飛行隊'''が編成。V-107、UH-1、LR-1などを装備
*{{和暦|1990}}[[2月17日]]:[[沖縄県]][[宮古島]]に緊急患者輸送に向かった第101飛行隊所属のプロペラ機([[MU-2|LR-1]])が宮古島の近海に墜落。
* {{和暦|1990}}[[2月17日]]:[[沖縄県]][[宮古島]]に緊急患者輸送に向かった第101飛行隊所属のプロペラ機([[MU-2|LR-1]])が宮古島の近海に墜落。乗員3名及び同乗の医師1名が死亡。
* {{和暦|1996}}:[[CH-47 (航空機)|CH-47J/JA]]導入。
* {{和暦|1999}}:[[UH-60 ブラックホーク|UH-60JA]]導入。
* {{和暦|2007}}[[3月30日]]:[[鹿児島県]][[徳之島]]に緊急患者輸送に向かった第101飛行隊所属のヘリコプター([[CH-47 (航空機)|CH-47JA]])が徳之島の[[天城岳]]山中に墜落。殉職した4隊員の葬送式は、4月15日に行われ、[[内閣総理大臣]]([[安倍晋三]])、[[防衛相]]([[久間章生]])、[[沖縄県知事]]([[仲井眞弘多]])、[[鹿児島県知事]]([[伊藤祐一郎]])、[[那覇市|那覇市長]]([[翁長雄志]])、[[徳之島町]]長、[[民主党]]代表([[小沢一郎]])、沖縄県離島振興協議会会長(仲村三雄)、[[統合幕僚長]]([[齋藤隆]])、[[陸上幕僚長]]([[折木良一]])、官房長、人事教育局長、[[西部方面総監]](輪倉昇)、[[佐世保地方総監]]([[赤星慶治]])、[[南西航空混成団]]司令(山川龍夫)らが参列した。
* {{和暦|2010}}3月26日:第15飛行隊に改編。
 
== 主要装備 ==
* [[MU-2|LR-1]]
* [[LR-2]]
* [[UH-60 ブラックホーク|UH-60JA]]
* [[CH-47 (航空機)|CH-47J/JA]]
 
== 外部リンク ==
* [http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/1cb/butai/15avi/index.html 第15飛行隊]
 
[[Category:隊 (陸上自衛隊)|たい15ひこうたい]]