「江川太郎左衛門」の版間の差分

編集の要約なし
;[[江川英武]]:38代当主、[[1853年|1853]] - [[1933年|1933]]。号は春緑。英龍の五男。[[明治維新]]のときの当主。[[廃藩置県]]後は[[韮山県|韮山]][[県令]]となるが、まもなく[[岩倉使節団]]に随行、そのまま留学。その後は地域教育に尽くす。
;[[江川英文]]:[[1898年|1898]] - [[1966年|1966]]。英武の子。[[東京大学]]教授で、法律学者。専門は国際私法。財団法人江川文庫を設立、江川家代々の資料を研究者に公開する。
 
== 屋敷 ==
『江戸切絵図芝口西久保愛宕下之図』で「江川太郎左衛門鉄砲調練所」と示される位置は、新銭座の[[慶應義塾]]の目と鼻の先であり、{{和暦|1870}}に屋敷の長屋三十間ほどの総二階を慶應義塾に貸し出したことがある<ref>[http://koara-a.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=Keio_mitalib_A_37728_K1_1-F 慶應義塾百年史年表]</ref>。これは「分塾」または「外塾」と呼ばれており、翌年には[[三田]]の[[島原藩]]中屋敷に移転している。[[福澤諭吉]]の夫人の実弟[[土岐謙之助]]が江川太郎左衛門の門弟であったことなども挙げられるが、実は江川家の江戸屋敷が幕府瓦解後、[[柏木忠俊]]の配慮で福沢諭吉に払い下げられて慶應義塾舎となり、正門は韮山に運んで今の表門となっている<ref>[http://www.nirako-dosokai.org/melmaga/rekishi/sakurai4.html 江川坦庵の知名度]</ref>。
 
== 関連項目 ==
*[[三嶋暦師の館]]([[安政の大地震]]で河合家が倒壊した際再建に協力)
*[[江川英元]](26代当主)
 
== 脚注 ==
{{reflist}}
 
== 外部リンク ==
[[Category:静岡県の歴史]]
[[Category:江戸幕府旗本]]
[[Category:慶應義塾の人物]]
{{人名の曖昧さ回避}}
匿名利用者