「プロシア公領」の版間の差分

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}}'''プロシア公領'''([[ポーランド語]]:Prusy Książęce, [[ドイツ語]]:Herzogtum Preußen)は、[[騎士修道会]]であった[[ドイツ騎士団]]領の[[東プロイセン|東プロシア]]地方に[[1525年]]に成立した[[ホーエンツォレルン家]]の[[ルーテル派]][[プロテスタント]]の世俗[[公国|公領]]である。首都はケーニヒスベルク(ポーランド語:クルレヴィェツ。現在の[[カリーニングラード]])。公家が2代で絶えた後、[[1618年]]より[[同君連合]]で[[ブランデンブルク選帝侯]]のホーエンツォレルン家が世襲の公家となる([[ブランデンブルク=プロイセン]])。[[大洪水時代|ポーランド・スウェーデン戦争]]の講和条約である[[1660年]]の[[北方戦争における諸条約|オリヴァ協定]]によって[[ポーランド・リトアニア共和国]]から正式に独立し、'''プロイセン公国'''(英語:Duchy of Prussia)となった。
{{Template:ブランデンブルクとプロイセンの歴史}}
}}'''プロシア公領'''([[ポーランド語]]:Prusy Książęce, [[ドイツ語]]:Herzogtum Preußen)は、[[騎士修道会]]であった[[ドイツ騎士団]]領の[[東プロイセン|東プロシア]]地方に[[1525年]]に成立した[[ホーエンツォレルン家]]の[[ルーテル派]][[プロテスタント]]の世俗[[公国|公領]]である。首都はケーニヒスベルク(ポーランド語:クルレヴィェツ。現在の[[カリーニングラード]])。公家が2代で絶えた後、[[1618年]]より[[同君連合]]で[[ブランデンブルク選帝侯]]のホーエンツォレルン家が世襲の公家となる([[ブランデンブルク=プロイセン]])。[[大洪水時代|ポーランド・スウェーデン戦争]]の講和条約である[[1660年]]の[[北方戦争における諸条約|オリヴァ協定]]によって[[ポーランド・リトアニア共和国]]から正式に独立し、'''プロイセン公国'''(英語:Duchy of Prussia)となった。
 
[[ポーランド王領プロシア]]とは異なるので注意。ポーランド王領プロシア(英語:Royal Prussia)はポーランド王国の領土。プロシア公領(英語:Ducal Prussia)はポーランド王国を[[宗主国]]としたポーランド王国の[[属国|属領]]で、公はポーランド王に仕える[[臣下|封臣]]である。
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