「フランソワーズ・マリー・ド・ブルボン」の版間の差分

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フランソワーズは、4歳年上の姉[[ルイーズ・フランソワーズ・ド・ブルボン|ルイーズ・フランソワーズ]]([[コンデ公]]ルイ3世の妻)と互いを妬み、張り合っていた。1710年には、[[ルイ (グラン・ドーファン)|王太子ルイ]](グラン・ドーファン)の三男[[シャルル・ド・ブルボン (ベリー公)|ベリー公シャルル]]がどちらの娘に結婚を申し込むかで喧嘩した。フランソワーズは、王太子妃マリー・アデライードはもちろん、[[マントノン侯爵夫人フランソワーズ・ドービニェ|マントノン夫人]](フランソワーズ姉妹らの育ての親で、ルイ14世と秘密結婚していた)にまで根回しをし、結局フランソワーズの次女マリー・ルイーズがベリー公と結婚した。
 
1715年、ルイ14世が亡くなると、幼い[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]の補佐するため夫が摂政となった。1721年に四女[[ルイーズ・エリザベート・ドルレアン|ルイーズ・エリザベート]]が[[スペイン]]王[[ルイス1世 (スペイン王)|ルイス1世]]と結婚すると、フランソワーズは大変喜んだという。1723年に夫フィリップが死ぬと、[[サン]]城に引退し、そこで1749年に死んだ。
 
== 子女 ==