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[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]と王妃[[シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ|シャーロット]]の第12子(五女)として、[[バッキンガム宮殿]]で生まれた。他の姉妹たちと同様に、宮廷外の誰とも交わらず、両親の手元で育てられた。
 
彼女はその生涯の間、数多くの噂に付きまとわれた。その最たるものが、兄である[[カンバーランド公]]アーネスト(のちの[[ハノーファー王国君主一覧|ハノーファー]][[エルンスト・アウグスト (ハノーファー王)|エルンスト・アウグスト]])と近親相姦関係にあったというものである。これらの噂が事実か否かは不明で、一説では極端に[[トーリー]]寄りのカンバーランド公にダメージを与えるため、[[ホイッグ]]が仕組んだとも言われている。一部の歴史家たちは、[[1800年]]頃にソフィア王女がトーマス・ガース(父王の主馬長)との間に庶子をもうけたと主張している。
 
晩年のソフィアは、姪である[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]も住む[[ケンジントン宮殿]]で暮らした。ソフィア王女は、ヴィクトリア王女の教育係である[[ジョン・コンロイ]]卿の魅力のとりことなり、彼に自らの資金の管理を任せていた。10年もの間視力を失って過ごした後、1848年にソフィアは死去した。遺言に従い、兄サセックス公[[オーガスタス・フレデリック (サセックス公)|オーガスタス]]の近くに埋葬された。ソフィアの死後、コンロイによる王女の金の使い込みが明らかとなった。
 
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[[Category:ハノーァー家]]
[[Category:1777年生]]
[[Category:1848年没]]