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==経歴==
[[福井県]]出身。乾徳高等学校(現・[[福井県立福井商業高等学校|福井商業高等学校]])卒業後に上京して、[[東京大学]]文学部卒業。[[1960年]]、[[東映]]撮影所に入り助監督・脚本家として活動。[[1972年]]『女囚701号 さそり』で監督デビュー。初監督作は、鮮烈な様式美と主演を務めた[[梶芽衣子]]とのコンビで話題となる。[[女囚さそりシリーズ]]としてシリーズ化されたが、先鋭的な演出がどんどんエスカレートしたこともあり第3作で降板(梶も続く第4作で降りた)。オカルト映画「犬神の悪霊」は失敗作と評されたものの、数年のブランクを経ての『誘拐報道』『白蛇抄』『花いちもんめ。』『風の又三郎 ガラスのマント』などは高い評価を受けた。[[1991年]]にフリーとなり、[[1992年]]故郷福井県の「福井ふるさと大使」に任命。[[1998年]]には『プライド・運命の瞬間』で監督・脚色を務める。かつて東映労組の戦闘的な委員長として鳴らし、反体制的な作品の多かった伊藤が東条英機を主役とする映画を撮ったことで話題と論争を呼んだ。[[2003年]]、[[紫綬褒章]]を受章。[[2006年]]公開の『映画監督って何だ!』は、[[日本映画監督協会]]設立70周年記念事業作品で多数の映画監督が参加したことで話題となったが、この作品の監督・脚本を務めている。2010年には新作監督作品『[[ロストクライム-閃光-]]』が公開する予定で、[[長坂秀佳]]と共に脚本も担当している。
 
==担当作品==