「李参平」の版間の差分

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[[忠清道]]金江(現・[[忠清南道]][[公州市]]反浦面)出身。[[1592年]]([[文禄]]元年)、[[豊臣秀吉]]の[[文禄・慶長の役|朝鮮出兵]]の際、[[有田町|有田]]を含む[[肥前]]の領主であった[[鍋島直茂]]が日本に連れて来た陶工たちの一人で、金ヶ江三兵衛の名を与えられた。
 
なお、今日一般に呼ばれている「李参平(李三平)」という朝鮮名は、金ヶ江三兵衛が参平(あるいは三平)とも記されること、金ヶ江家の文書に本来の姓が李氏であったと記されることから、後世推測された名である。尚、「参平」の朝鮮語読みは「チャムピョン」、「三平」の朝鮮語読みは「サムピョン」である。
 
はじめ鍋島直茂の重臣[[多久安順]]に預けられ、[[小城郡]][[多久市|多久]]に住んだ。一般に知られている説話によると、李参平は磁器生産に適した[[カオリナイト|白磁石]]を求めて鍋島領内各地を転々とし、[[1616年]]([[元和 (日本)|元和]]2年)に有田東部の泉山で良質の白磁石の石場を発見した。李参平はここに天狗谷窯を開き、日本初の白磁器を焼いた。これが有田焼の起こりである、という。