「クジラ学」の版間の差分

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「哺乳類」はリンネの作出した概念なので
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クジラの観察は古代から行われていたことが記録されている。[[古代ギリシア]]の漁師は捕えたイルカの[[背びれ]]に人工的な切れ目を入れて、何年も経った後でも見分けられるようにした。
 
およそ2300年前、[[アリストテレス]]は、[[エーゲ海]]で漁師が獲ってきたクジラを注意深く観察した。著書 Historia animalium の中では[[ヒゲクジラ亜目]]と[[ハクジラ亜目]]について記述し、今日でも使われている分類体系を作った。また[[マッコウクジラ属]]と[[マイルカ属]]についても、少なくとも25年から30年の寿命をもつと述べている。今日でも進化した海棲哺乳類の寿命を評価することは難しいことから、アリストテレスの業績は当時としては際立っていたと言える。
 
アリストテレスの死後、彼が得たクジラに関する多くの知見は失われたが、その一部は[[ルネサンス|ルネッサンス]]期に再発見された。
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しかし記載された全ての生物が恐ろしく描かれていたわけではなく、ある種については好意的に見られていた。例えば[[ニシン]]の大群を岸に向かって追うクジラなどもおり、漁師からありがたがられていた。
 
初期のクジラ学に関する研究の多くは死体や[[神話]]に基づいて行われていた。そのため[[解剖学]]については、大きさや大まかな外見についてしか分かっていなかった。なぜならクジラは一生の大半を海中で過ごすからであり、当時の科学者にはそれ以上研究を行う術がなかった。1500年代になってやっと、クジラが[[類]]ではなく[[哺乳類]]“獣”の仲間であることが明らかとなった。
 
前述したアリストテレスは、陸の獣や人間に近い特徴がクジラが哺乳には多い(鰓がなく、鼻孔呼吸をし、胎生で、授乳をすなど)ことを見抜い重視していたが、年上の[[プリニウス]]は魚であると考えており、多くの科学者はこちらの意見を支持していた。アリストテレスの主張が受け入れられるのは、16世紀にピエール・ベロンらが現れるまで待たねばならなかった。かれらは、クジラは哺乳類のように[[肺]]と[[子宮]]を持っていると主張した。1758年に[[スウェーデン]]の[[カール・フォン・リンネ]]が『自然の体系』(Systema naturae)を著してから、クジラは哺乳類であると一般に認められるようになった。
 
わずか数十年後、[[フランス]]の[[動物学]]者であり[[古生物学]]者である[[ジョルジュ・キュヴィエ]]はクジラを後足のない哺乳類に分類した。骨格は既に組み合わされ自然歴史[[博物館]]に展示されていたので、動物学者は詳細に観察し、絶滅した動物の化石と比較することができ、結局クジラは古代の陸生哺乳類の子孫であるという結論に至った。