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[[1972年]]、[[甘粛省]]党委員会書記兼革命委員会副主任(副省長)に就任し、[[1977年]]6月に同省の党委第一書記兼革命委員会主任(省長)に昇格。第一書記時代(1977年6月 - [[1981年]]1月)に[[胡錦濤]]、[[温家宝]]ら30代の若手を庁長クラスに抜擢、胡錦濤は[[中国共産主義青年団]]で幹部育成プログラムへの参加を薦められ、温家宝は後に中央入りした。
 
[[1981年]]に国家計画委員会に移り、第一副主任(副大臣)となる。[[1982年]]9月の第12回党大会で[[中国共産党中央委員会|中央委員]]に当選。[[1983年]]6月、国家計画委員会主任(大臣)に昇格し、国務委員(副首相級)を兼任。[[1987年]]5月、[[中国共産党中央組織部|党中央組織部長]]に就任し、同年11月の[[中国共産党第十三期中央委員会第一回全体会議|第13期1中全会]]で[[中国共産党中央政治局|党中央政治局]]委員に選出されに就任。[[1989年]]6月、[[六四天安門事件|天安門事件]]を受けて開催された[[中国共産党第十三期中央委員会第四回全体会議|第13期4中全会]]において[[中国共産党中央政治局常務委員会|中央政治局常務委員]]に昇格。
 
[[1992年]]、第14回党大会で引退。胡錦濤を[[江沢民]]の後継者に推薦する。[[鄧小平]]も同意し、胡錦濤は49歳で政治局常務委員となった。