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'''経が島'''(きょうがしま)は、[[日宋貿易]]の拠点である[[大輪田泊]]に交易の拡大と風雨による波浪を避ける目的で築造された人工島。その広さは37ヘクタールと推定され、[[承安]]4年(1174年)に竣工する。'''経ヶ島'''とも書く。
 
塩槌山を切り崩した土で海を埋め立てた。工事の際、それが難航したため[[迷信]]を信じる[[貴族]]たちが[[人身御供]]をすることにする。[[平清盛]]は何とか人柱を捧げずに埋め立てようと考えて、石の一つ一つに[[法華経]]を書いて埋め立てに使う。その後、事故などなく無事に工事が終わったため、[[お経]]を広げたよう[[]]状のこの島を「経が島」と呼ぶようになった。しかし、一説には、人身御供をする事となり平清盛の侍童・松王丸が入水して工事が終わったともいわれる。
 
「[[平家物語]]」では平清盛自身、死後に円實という僧によって経が島に埋葬されたと記述されている。