「地下鉄道 (秘密結社)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
Decorl (会話 | 投稿記録)
63行目:
 
==旅の様子==
逃亡中、本当の鉄道を交通に利用した奴隷もまれにいたが、通常は歩いたり荷車で移動した。奴隷たちを捕まえようとする追っ手を撒くために、うねりくねった経路をたどった。逃亡者の大多数が、40歳以下の[[農民]]の男だったと言われている。逃亡の旅道は、女性や子供には険しく危険すぎたのだ。ただし、通常は、地下鉄道を通して逃亡し自由な生活を確立した奴隷たちは、自分たちの妻や子供を主人から買い取り、その後一緒に暮らしたのだった。これが可能だったため、実際、秘密の逃亡によって亡命した奴隷たちに加えて、逃亡はしなかったが奴隷の身から解放され、地下鉄道を運営していた勇気ある人々を感謝した黒人たちは、相当な数がいた。
 
地下鉄道の詳細な情報が公的機関などに流出してはならないため、道筋や隠れ家の場所などの情報は全て口頭で伝えられた。南部の新聞には、逃亡した奴隷についての情報が頻繁に掲載され、捕まえた者には主人から賞金が出された。このような賞金稼ぎを職業とした奴隷捕獲人は、遠いときはカナダまで奴隷を追って、捕まえようとした。働き盛りのい健康な黒人たちは、奴隷の主人たちにとって投資した労働力動産であり労働力だった。また奴隷でない「自由黒人」たちでさえ誘拐、拉致され奴隷として売られることもあったのだ。署名され、正式にその黒人の自由を署名入りで正式に公証した個人の「自由証明書」でさえ、簡単に破り捨てられ、完全な自由を保障するとは限らなかったのだ
 
==民間伝承==