「大阪事件」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Pass Lab (会話 | 投稿記録)
→‎大阪事件以降の創価学会: 荒らしへの対処(該当する「創価学会女子部部長」は存在しない)
30行目:
大阪事件公判中の1958年4月2日戸田が急逝。後継者を指名していなかったため創価学会は後継者争いに発展。実質池田大作が会長職につくまでの3年間、大小合わせてかなりの後継者争いが起こった{{要出典}}。
 
初代会長・[[牧口常三郎]]、第2代会長・戸田城聖がともに戦前、[[治安維持法]]違反と神社に対する不敬罪で逮捕、投獄された歴史を持つ創価学会では、大阪事件の無罪判決は大きな意味を持った。池田は国家権力から無罪判決を勝ち取った人間と神格化され3代目会長に就任する足がかりとなった{{要出典}}ばかりではなく、現在においても創価学会員は事があれば必ずといっていいほど大阪事件の無罪判決を引き合いにだすようになった<ref>2007年2月開催の定例幹部会での創価学会女子部部長の発言より</ref>{{要出典}}。現在でも大阪事件の無罪判決が出た日や控訴期限の日が近づくと毎回創価学会の女子部・婦人部は創価学会の総会で大阪事件を取り上げ当時の検察を批判し池田会長(創価学会)の正当性を末端の学会員に訴えている<ref>http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4895156.html</ref>。
 
公職選挙法の改正や、創価学会内での自浄効果、1990年代に公明党が連立政権に入ることもあったため、1980年代以降創価学会による大きな選挙違反事件は発生していないが学会員による友人宅への戸別訪問や公明党への投票を呼びかける友人への電話連絡は選挙のたびに行われ警察や選挙管理委員会の注意喚起を受けている{{要出典}}。大阪事件以降時を経て政教分離の原則から創価学会と公明党は離れることになり、公明党は現在3番目に所属議員の多い政党として存在している。