「ピーター・ウィレム・ボータ」の版間の差分
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[[オレンジ自由州]]の[[ボーア人]]([[アフリカーナー]])の両親の下に生まれる。実父は[[ボーア戦争]]に軍人として参画した経歴を持つ。グレイ・ユニバーシティ・カレッジ(現在の[[フリーステイト大学]]・[[:en:University of the Free State|University of the Free State]])で[[法律]]を学ぶ。20歳の時にカレッジを中途退学し、[[ケープ州]]の[[国民党 (南アフリカ)|国民党]]組織で働き始め、1946年にはアパルトヘイト政策を提言することになる[[サウアー委員会]]の一員となる。
[[第二次世界大戦]]中、ボータは、[[ナチス・ドイツ]]を支持していたとされ、[[ブルームフォンテーン]]の[[右翼]]組織・[[牛車の番人団]]([[:en:Ossewabrandwag|Ossewabrandwag]])に入党する。しかし[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]が勝利するとキリスト教ナショナリズムに転向、[[ファシズム]]を批判し、古巣であった
== 政治的経歴 ==
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