「アレクセイ・スタンチンスキー」の版間の差分

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スタンチンスキーの現存する作品は、ほとんどが[[ピアノ]]曲である。[[ソナタ]]や[[フーガ]]のような大形式の作品も見られるが、ほとんどは[[前奏曲]]や「スケッチ」などの小品集である。[[スクリャービン]]の影響のもとに、濃密な[[半音階]]や繊細なリズム語法を用いたが、次第に[[モデスト・ムソルグスキー|ムソルグスキー]]や[[民族音楽]]に影響されて[[旋法|旋法性]]や[[変拍子]]を多用し始め、恩師タネーエフ流儀の[[対位法]]的書法にも傾倒し、とりわけ[[カノン (音楽)|カノン]]を好むようになった。スタンチンスキー作品では、これらが複雑に絡み合っているが、ムソルグスキーの影響が強まってからは、[[旋律]]においても[[和声]]においても、[[全音階]]的な傾向が明らかとなっている。
 
短い一生の間に、[[ニコライ・メトネル|メトネル]]や[[アナトーリー・アレクサンドロフ|アレクサンドロフ]]らといった学友を感服せしめ、両者はともにスタンチンスキーへの追悼作品を作曲した。スタンチンスキーの存命中に、ロシア帝国の主要な都市でそのピアノ曲が演奏されるようになっていたものの、幾多の政変による紆余曲折を経て、作品が(アレクサンドロフら、かつての旧友の手によって)出版されたときには、作曲者の死から四半世紀が経っていた。また、[[サムイル・フェインベルク]]はスタンチンスキー作品の擁護者であり、[[ソビエト連邦|ソ連]]の国内外で演奏したほか、アレクサンドロフ同様、自身の作曲様式において多少の影響を受けている。[[セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ]]は[[1913年]]にスタンチンスキー作品について文章を残しており、プロコフィエフのピアノ曲は、辛辣で小気味良い表現においてスタンチンスキーとの共通点が認められる。[[アルトゥール・ルリエー]]もスタンチンスキー作品を知っていたらしい。このようにスタンチンスキーは、現在でこそ過小評価されているものの、ロシア文化「銀の時代」から[[ロシア・アヴァンギャルド#音楽|ロシア・アヴァンギャルド音楽]]に橋渡しをし、帝政末期のロシア楽壇において、[[ジュリアン・スクリャービン]]とともにその夭折が惜しまれた存在であった。
 
== 主要作品一覧 ==