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[[Image:KampfflugzeugF-8China.jpg|right|thumb|300px|J-8II戦闘機の同型機]]
'''海南島事件'''(かいなんとうじけん [[中国語]]:中美撞机事件、[[英語]] Hainan Island Incident)とは、2001年に[[海南島]]付近の[[南シナ海]]上空で[[アメリカ合衆国]]と[[中華人民共和国]]の[[軍用機]]が[[空中衝突]]した事件である。中華人民共和国側の[[戦闘機]]は墜落し[[パイロット]]が行方不明になり、アメリカ側の電子[[偵察機]]も損傷し海南島に不時着したものの中華人民共和国側に身柄を拘束された。この事件のため一時的に米中間の軍事的摩擦が高まることとなった。
 
== 事件の概略 ==
 
 
[[2001年]][[4月1日]]、午前 8 時 55 分([[華人民共和]]標準時)、海南島から東南に 110 [[キロメートル]]の南シナ海上空の[[公海]]上で中華人民共和国国内の[[シギント|無線通信傍受]]の偵察活動をしていた[[アメリカ海軍]]所属の電子偵察機 [[P-3 (航空機)|EP-3E]] と[[中国人民解放軍海軍]]航空隊所属の [[J-8II (航空機)|J-8II]] 戦闘機が空中衝突する事故が発生した。
 
そのため中国人民解放軍機が墜落しパイロットが行方不明になった。一方のアメリカ軍偵察機は大きな損傷を負ったが、至近の海南島の飛行場に午前 9 時 33 分に不時着した。搭乗員は中華人民共和国当局によって身柄を拘束された。
 
== 事件の反応 ==
[[File:EP-3E Orion VQ-1 from below.jpg|right|thumb|220px|EP-3E]]
この時期の米中関係は険悪なものであった。これは[[1999年]][[5月]]の[[コソボ紛争]]で [[北大西洋条約機構|NATO]] 軍の一員として武力制裁に参加していたアメリカ軍機が[[ユーゴスラビア連邦共和国]](当時)の首都[[ベオグラード]]にあった中華人民共和国[[大使館]]をユーゴ政府の政府機関と誤認して爆撃した事件によって、中華人民共和国国内では「ユーゴを支援する中華人民共和国政府に対する意図的な報復行為である」として国内で[[反米]]暴動が起きるなどの緊張が高まっていた。またアメリカの[[ジョージ・W・ブッシュ|ブッシュ]]政権が、軍事拡張を続ける中華人民共和国を[[冷戦]]後の「'''戦略的競争相手'''」として将来軍事的脅威になると指摘したため米中間の軍事緊張が高まっていた矢先の出来事であった。
 
そのため中華人民共和国側は、「アメリカ軍機が領空侵犯したうえ、わざと急旋回して中華人民共和国機との衝突を招いた」として非難し、一方のアメリカ側は空中衝突の原因は中国人民解放軍機の挑発行為であると反論し、搭乗員と機体の即時返還を要求した。また行方不明になったパイロットが、以前にも同様の挑発行為をしており、操縦席から自分のメールアドレスを示していたとして、このような中国人民解放軍機のパイロットによる常軌を逸した行動があったと主張した。
 
しかしながら、米中両国政府はこれ以上の軍事的対立のエスカレーションは望んでいなかったため、[[5月24日]]に機体返還の合意が発表され、事件は決着をみた。ただし、これも中華人民共和国側が「駐機料」を請求するなどハプニングがあった。
 
== 事件後 ==
アメリカの電子偵察機は不時着までに収集した情報などは抹消したと思われるが、中華人民共和国側によって機体調査が行われたため、アメリカ軍は偵察システムの変更を余儀なくされたともいわれている。
 
結果的に、事件の原因は米中のいずれまたは双方に原因があったのかや、ただの偶発的に発生した事件なのか、中華人民共和国や米国の意図的な挑発なのかは明らかではない。また米中間の軍事的関係は「氷点下」にまで悪化したが、最近では改善の兆しがあるという。しかしながら、今後も同様な偶発的または意図的な事件が発生する危惧は依然としてあるといえる。
 
== 関連項目 ==