「対馬府中藩」の版間の差分

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*{{和暦|1639}}:江戸幕府の命により釜山倭館内に対馬藩営の[[釜山窯]]が開かれ、上納品が焼成される。
*{{和暦|1643}}:第5回朝鮮通信使(462名)が来日。宗義成が江戸まで案内する。
*{{和暦|1647}}:宗家菩提寺[[万松院]]を現在の金石山麓に移転する。
*{{和暦|1650}}:厳原に佐須銀山が開かれる。
*{{和暦|1655}}:第6回朝鮮通信使(488名)が来日。宗義成が江戸まで案内する。
*{{和暦|1659}}:治水対策として阿須川の開削と河川の切り替えが行われる。
*{{和暦|1660}}:府中城下の町割が行われる。
*{{和暦|1661}}:対馬島内の検地始まる。
*{{和暦|1663}}:「お船江」完成。
*{{和暦|1669}}:府中厳原の金石館に櫓門を築き、金石城と称する。
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*{{和暦|1709}}:対馬のイノシシ絶滅。
*{{和暦|1711}}:第8回朝鮮通信使(500名)が来日。宗義方、江戸まで案内する。
*{{和暦|1715}}:サツマイモ(孝行芋)の導入。原田三郎右衛門が[[薩摩国]]に潜入して甘藷を持ち帰って栽培したという。
*{{和暦|1717}}:久田で陶器製造が開始される。
*{{和暦|1718}}:釜山窯を閉じる。
*{{和暦|1719}}:第9回朝鮮通信使(475名)が来日。宗義誠、江戸まで案内する。
*{{和暦|1732}}:府中大火。
*{{和暦|1733}}:府中また大火。
*{{和暦|1748}}:第10回朝鮮通信使(475名)が来日。宗義如、江戸まで案内する。
*{{和暦|1755}}:朝鮮貿易不振となる。
*{{和暦|1764}}:第11回朝鮮通信使(572名)が来日。宗義蕃、江戸まで案内する。
*{{和暦|1776}}:幕府より毎年1万2,000両の給付を得る。
*{{和暦|1778}}:[[宗義功 (猪三郎)]]が11代藩主となる。
*{{和暦|1780}}:幕府よりの借入金15万2,000両に達する。藩、借入金返済の猶予を願う。
*{{和暦|1785}}:猪三郎義功が将軍に拝謁しないまま死去。[[宗義功 (富寿)|宗義功]]が12代藩主となる。
*{{和暦|1793}}:幕府の命により遠見番所を置き、防備体制を強化する。
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*{{和暦|1861}}:[[ロシア]]軍艦が浅茅湾尾崎浦に来泊、芋崎を占領して[[租借]]を要求。8月退去。
*{{和暦|1862}}:[[対長同盟]]
*{{和暦|1863}}:[[攘夷]]の勅許が下る。
*{{和暦|1864}}:[[甲子の変]](勝井騒動)。[[勝井五八郎]]、尊攘派の家士百余名を殺す。
*{{和暦|1865}}:勝井五八郎が誅殺される。